白坂です、

 

止めているのは自分自身

人生は大小・無限の選択の連続。
たとえば、ものすごく身近なところでは、

朝食は、
「ご飯を食べるか?」
それとも
「パンを食べるか?」

もし迷えたり・悩めたり出来たとしたら、
最高に幸せなこと。なぜなら、どっちを
選んでも、人生にとって大差がないから。

つまり、
どっちでも良いことに対しても
迷えるほど時間に余裕があるということ。
最高に幸せな状態。

迷えたり・悩めているということは、
どちらを選んでも結果に大差がないから。
つまり、どっちでも良い。

もし、
決断の結果によっては、その後の人生が
大きく変わる可能性がある場合、
明らかに分かる。なぜなら、


身体に出るから


・鳥肌が立ったり
・呼吸が荒くなったり
・武者震いをしたり、、、


強い恐怖の感情に襲われる


>「あぁ、これにYESと応えたら
  本当に人生が変わるんだな」

というような場合、
迷ったり・悩んだりはしない。

ただ・ただ怖いという
感情で全身が覆われる。

だから、

・NOと断って、一刻も早く
 恐怖の感情から解放されたくなったり、

・現在、比較的に上手く進み始めているものを
 なぜか止めて過去の状態に無理やり戻そうとしたり、、、

一見、
とても理不尽な言動を取ろうとしてしまう。
なぜなら、人は、マイナス方向に対してだけでなく、
プラス方向に対してさえ、


変化【そのもの】を恐れているから


たとえば、
もし40歳だとしたら、少なくても、過去40年間は、
今までの自分の考え方で生き延び続けることが
出来ていたということ。

もし変化がなければ、今後、更に40年間も
生き延び続けられる可能性が高い。
なぜなら、今までの過去の記憶が、
これからの参考になり続けるから。

ところが、
これから環境・人間関係が大きく変わってしまい、
今までとは全く違う環境・人間関係に変化した場合、
これまで40年間の記憶が全く役立たないことになる。

未体験の状況に対して、どのように考え、
どのように行動すれば良いか、過去の記憶の集大成である
自我には全く分からない。

「この先どうなるか分からない」というのが
恐怖という感情になる。そして、自我が感情を通じて、
身体に伝える。安心が保障されていない領域に
進まないように自我が全力で止める。つまり、


止めているのは自分自身


>「いいや、そんなことはありません。
私自身は挑戦したいんです。やりたいんです。
ただ、妻が、子どもが、友達、、、が止めるので
私はやりたくても出来ないんです。」





他者から止められているのが嘘なのではありません。
実際、本当に止められているのでしょう。

もし、相手にとって、あなたが大事な
人間関係の1人なのであれば、あなたの変化は
相手の変化。当然、相手だって恐い。
変えないで欲しいと思うのは極めて自然。

では、
何が嘘なのかといえば、止められているという
事実が嘘なのではなく、止められているから
出来ないというのが嘘。なぜなら、


本気中の本気の人を止められる人は1人も居ないから


自分自身でさえ恐い。不安。成功に確信が持てていない。
だから、自分自身でさえ揺れている。

そこに、妻・子ども・友達、、、の反対もあった。
だから、「他者のせいで出来ない」と正当化し
自己重要感を守っている、だけ。

もし、自分自身は覚悟が決まっていて、
たとえ百人中百人が反対しても、
断固として絶対に【やる】と覚悟が決まっていたら、
その本気の人を止められる人は誰もいない。


止めているのは自分自身


もし「他者のせい」で出来ないのだったら、
その問題は解決不可能。なぜなら、
人は他者を変えることは出来ないから。

しかし、

もし「自分のせい」で出来ないのだと
素直に認めれば、課題の解決可能性が生まれる。
なぜなら、人は、自分自身だけは変えて行く
ことが出来るから。

もし止めているのが自分自身であり、
恐怖という感情なのだと気づけたら、
あとは、「その恐怖という感情と
どのように向き合うか?」という自分の課題になる。


人の成長は、不確実性への許容度合


よく「あの人は『器』が大きい」というような
日本語が使われる。この時の『器』というのは、
抽象的な表現。器というのは、具体的には
不確実性への許容度合のことを言う。

たとえば、
赤ちゃんは器がゼロ。
つまり不確実性を受け入れられない。

だから、
お腹が空いたら何とか空腹を満たそうとする。
そして、お母さんが母乳をくれるまで
全力で泣き叫び続ける。

要するに、
赤ちゃんは全て自分の思い通りにしたい。
不確実性への許容度がゼロ。だから、器もゼロ。

そこから、人は成長して行く。
完全完璧主義という器ゼロの状態から、
人生を通じて、


人生は自分の思った通りにならない


ということを繰り返し体験することで、
不確実性を少しずつ許容し始めて行く。

理想を常に追い求め続けながらも、
しかし、実際には、やってみないと分からない、
という現実を受け入れ始める。

だから、
人は成長すれば・するほど、
恐怖との付き合い方も上手になって来る。
なぜなら、

恐怖とは分からないことに対して
湧き上がって来るものだから。

「ある程度、分からなくても構わない」と
不確実性への許容度が上がって行くと、
恐怖の感情そのものが小さくなる。


人間の頭は完全完璧主義。
だから、100点満点からの減点方式で
物事を視る。

しかし、
現実は真逆。ゼロからイチへの加点方式。
基本、ゼロ。上手く行かない。そして、
上手く行かない可能性の方が圧倒的に高い。

圧倒的な低確率の中で何とかイチの結果を
無理やり創り出そうと大量行動を
やっている時にこそ、人は最も成長する。
不確実性への許容度が上がる。器が大きくなる。


止めているのは自分自身


過去の人生を振り返ると、
どんな人にも転機というものがある。
>「この選択次第で、その後の人生が
確実に変わる」という瞬間がある。

そして、

もし人生が変わっていないとしたら、
毎回・毎回、同じパターンの反応をしている。
変化を拒絶する選択や、変化の進行を
破壊する判断を行なっている。

自分自身の選択のパターンを
客観的な視点で自覚できた時、
人は初めて、次の転機で違う反応が
出来る可能性が生まれる。

たとえば、

・今度こそ、絶対に「YES」の選択をしよう、とか、

・今度こそ、「この先どうなるか分からない」
 という不確実性を受け入れて、何もせずに
 進行を見守り続けよう、など

今までの自分とは違う反応が出来るようになる
すると、初めて人生が変わり始める。
結局、全ては自分次第であり、
しかも、


恐怖という感情との向き合い方次第


いつまでも
全て自分の思った通りに、、、という
完全完璧主義は、身体だけ大きくなった
赤ちゃんのまま。

人は完全完璧にはなれない。
事前に未来を100%、見通すことなど
誰にも出来ない。結局、最後は、


やってみないと分からない。
だから、やってみる。


ということに尽きる。

100点満点からの減点方式が
価値観のままだと、基本、
何も変わらない。これまで同様の結果を、
これからも得続けるだけ。

しかし、

現実は、100点満点からの減点方式
どころか、ゼロからイチを無理やり
創り出そうとするものだということを
腑に落とし始めた瞬間、


不確実性への許容度が上がる


もし、
可能性ゼロだと思って始めたのに、
1%は上手く行くという現実からの
反応が得られたら、後は、

・「どうすれば母数を10倍・100倍、、、に
  増やせるか?」

そして、

・「どうすれば1%を2%に上げられるか?」

という
改善のサイクルに入って来る。

>「失敗したくない」
>「損をしたくない」
>「分からないことは怖い」、、、
というのは自然。普通。

でも、
それは全て基準が100点満点だから。
100から1が減点されるのを恐れている、だけ。

実際は、
ゼロからイチ。

元々、何も持たない裸の赤ちゃんとして
生まれてきているのであれば、最悪、
全て失ったとしてもゼロに戻るだけ。

以下、
大事なことなので3回、繰り返します。

・人生は最悪でゼロ。
 マイナスは数学上の単なる概念。

・人生は最悪でゼロ。
 マイナスは数学上の単なる概念。

・人生は最悪でゼロ。
 マイナスは数学上の単なる概念。


最悪、全てを失ったとしても
ゼロに戻るだけ。

もし、今、何か「人」「物」「お金」
「肩書き」「地位」「名誉」、、、など
何かを持っているとしたら、それは全て
後天的に得ることが出来たもの。

最初は何も持っていなかった。
だから、挑戦して失う可能性があるのは
全て、後天的に得たもの、だけ。

だったら、
この後の挑戦で最悪、全てを失ったとしても、
ゼロに戻るだけ。そして、


実際に、全てを失うことはない


現実は、
・想定していた最悪と
・思い描いていた最高の
・中間で進行して行く


止めているのは自分自身


これまでの機会は仕方がない。
問題は、これからの機会で
今までと違う反応が取れるか・どうか?


・今度こそ、絶対に「YES」の選択をしよう、とか、

・今度こそ、「この先どうなるか分からない」
 という不確実性を受け入れて、何もせずに
 進行を見守り続けよう、など

過去の自分とは
明らかに違う反応が出来るようになったら、、、
次こそは結果を変えて行くことに


成功できています

 

止めているのは自分自身

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎