白坂です、


競争は幻想

具体例として、
社会が狭ければ狭いほど理解しやすいので、
仮に、中学校のクラスで例えたいと思います。

クラスに35人が居て、
その中で、数学のテスト
1番を目指しているとします。

その時に、

・他の人が100点を取らないことを
 願っているならば、社会は競争です。
 
 なぜなら、
 自分が勝つためには相手の負けが
 必要だと考えているからです。

一方、

・あくまで自分自身が100点満点を
 取ることに集中できているならば
 競争ではありません。
 
 なぜなら、
 自分が勝つためには相手の負けが
 必要ないからです。


もし、
競争という価値観で社会を観察していると、
本当の意味での協力はなくなります。

自分が勝つために相手の負けが必要であれば、
相手に全力で協力するということは有り得ません。

先ほどの中学生の勉強の例であれば、
相手が分からないことは分からないままである方が、
自分が勝って1番になれる、、、という発想です。

ただ、
自分が勝つために相手の負けが必要ないのであれば、
相手に全力で協力できます。相手が100点満点でも
自分も100点満点であれば良いからです。

そして、

相手に全力で協力すればするほど、
協力する過程で自分の実力が確実に上がっていきます。
なぜなら、人が最も深く学ぶ時というのは、
誰かに何かを教えている時だからです。


競争は幻想


価値観に競争がある場合というのは、
基本的に、物事の視野が狭くなっている時です。

たとえば、
中学生が35人のクラスで「1番を獲りたい」と
考えいる場合、本人が認識できているのは、
同じクラスの35人だけ。

実際は、

・別のクラスの人たちも沢山います。
・別の学校の人たちも沢山居ます。
・別の県の人たちも沢山居ます。

だから、

相手に協力せずに、むしろ互いに
足の引っ張り合いをしている時というのは、
自分の置かれている近い所を
まるで社会の全てだと錯覚している場合。

極論、

同じクラスのライバルがテストでミスをして、
自分がミスしなかったことで、35人クラスで
1番が獲れたとしても、世間的には全然、
大したことでは有りません。

なぜなら、
世界には78億人が、日本には1億2千万人が、
1つの都道府県には数百万人以上が居る社会の中で


そのテストで100点満点が獲れる程度の
実力の持ち主は、いっぱい・いっぱい居るから、です。


たとえるならば、
全世界で数百万人以上に遊ばれているオンラインゲームで、
初心者同士が目の前の相手に勝てたか・負けたか、、、、を
やっているようなもの。ゲーム全体では全然に大したことはない。

仮に目の前の人に勝てたとして、ゲーム全体での
順位は100万位だったりすれば、目の前の相手と
協力しないで張り合っていたことは時間の無駄でしかない。

だったら、

目の前の相手をライバル視するのではなく、
互いに全力で協力して、
100万位を10万位、1万位、、、と
上げていった方が、よほど生産的です。


競争は幻想


ある1つの状況が競争に見えているとしたら、
それは単純に視野が狭くなっているから、だけ。

自分が過去の記憶で認識できている世界が、
まるで全世界の全てであると錯覚しているだけ。

限られたパイだとしか見えないから、
その限られたパイを一生懸命に奪い合おうとしてしまう。
相手が沢山取れば、自分の取り分が少なくなる
という価値観だから、無駄に張り合ってしまう。

たとえば、
原油価格が高騰したりするのは、なぜでしょうか?

大前提は、
原油の埋蔵量には限りがある、、、です。

もし、
原油が無限であるならば、原油価格が高騰する
ということは起こり得ません。空気の価格が
高騰しないのと同じように、原油価格も高騰する
はずがありません。

しかし、
現実、原油価格が高騰するのは、

・空気は無限だけれど
・原油は有限

という大前提があるから。

>「このままのペースで全世界が原油を
  使い続けていたら、地球の原油は
  枯渇してしまう、、、」

というのは、
今から50年前の1973年の
石油危機の頃から、50年間
ずっと言われ続けて来ました。

実際はどうか?


【余っている】原油量が増えて続けている


なぜなら、
地球上に埋蔵されている原油を
新たに発見するための開発が
常に行われ続けているから、です。

地球上の色々な地層から
化石が発見され、燃料となることが
分かり続けている。

それだけでなく、
原油以外の天然ガスや、太陽光なども
エネルギー源となることも分かって来ている。

であれば、

>「このままのペースで全世界が原油を
  使い続けていたら、地球の原油は
  枯渇してしまう、、、」

というのは、
単に、視野が狭いから、だけ。

今、現時点で確認されている埋蔵量だけに注目し、
今、現時点で起きている表面上のニュースに
単に反応しているに過ぎません。


競争は幻想


目の前の「ある事象」が競争に見えるとしたら、
それは、視野が狭くなっているから、だけ。

過去の記憶の延長線上で、
否定的な方向で一直線に物事を見ているから
競争しているように見える。

しかし、
実際は、代わりのものが無限にある。

目の前にある1つのモノの取り合いに
一生懸命になっているがために、
他に存在している無限の代わりのモノが
見えなくなっている、だけ。

たとえ、
全く同じモノは1つしかなかったとしても、
代わりになるモノは、無限に存在している。

無限にあるならば、取り合う必要はない。
競争する必要はない。空気を対象に
奪い合いをしないのであれば、他のモノを
対象に奪い合いをする必要もない。


競争は幻想


人の価値観は、全世界78億人に対して
平等というモノの見方をしません。

今、目の前に居る近くの人を極めて
重要だと認識し、地球の反対側に居る
外国人は、それほど重要ではないと判断する。

つまり、
物事の認識が歪んでいる。

・近くのモノを
・近くの人たちと
・取り合おうとするから競争に見えるだけ

もし、
競争に勝たなければ生きていけない、、、
と感じていたならば、単純に視野が
狭くなっているだけだと自覚したい。


代わりのモノはいくらでも無限にある


大事なのは、
今、すぐ目の前の人に勝つか・どうか、ではない。

勝っても・負けても、
当人同士にだけ重要であって、
世間的には、どちらでも良いこと。
それだけ、世界にも日本にも、人は沢山いる。

競争するくらいだったら協力する。
全力で、近くの人たち【みんな】が
1段階「上」に上がれるように協力する。

もし、
順位が100万位なのだとしたら、
目の前の、たった1人に勝つことに
躍起になっていることは無意味。

だったら、
逆に、近くの人たち同士で全力で協力して、
みんなで10万位を目指した方が
よほど生産的。


競争は幻想


もし、
本当に競争しなければならない相手が
居るとしたら、他人ではない。
あくまで昨日の自分。

「手を抜きたい」「楽をしたい」「サボりたい」、、、
という脳に打ち克って、今日は今日で全力を尽くし、
昨日の自分よりも1センチでも1ミリでも
成長できたか・どうか、、、だけが重要。

他者は競争相手ではない。
特に近くに居る人は、最大のライバルに見えて、
実際は、最も協力すべき相手。

狭いところで競争していることほど
不毛なことはない。

なので、視野を広げる。

過去の記憶による自分が執着したものから
解き放たれて、「代わりのものはないか?」と
広い世界を、もっと【ありのまま】に観る。

そうすれば、
別に、目の前のものを何が何でも
取り合うためだけに一生懸命に
なる必要がないことに気づける。

そして、
やがて、広い世界の無限の可能性へと
焦点を切り替えていくことが出来る。

結果、
無限の可能性の中で、


より大きく成長することが出来ています


競争は幻想

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

参考DVD: