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 今回は閑話休題。雑学です。

 天才を科学する

 エジソン、アインシュタイン・・・現代で言えば、ディマティーニ博士。

 いわゆる天才と呼ばれる人たちは、決まって幼少期に学習障害児のレッテルを貼られています。どういうことでしょうか。

 天才というのは、共感覚者であると言われています。
 (
共感覚・・・視覚・味覚・嗅覚・触覚・聴覚の5感が融合している状態。)


 例えば、音を光として感じたり、光を味として感じたり。音楽界の天才と言えば、モーツアルトですが、彼の楽譜にはいわゆる無駄な音符というのがないそうです。彼は、光共感覚者だったのではないかと言われています。


 つまり音を見ることができた。そして、絵を描くように作曲していったのではないか、と。

 どうしてそのような天才が、まれにまれに存在していたのかといえば、これは脳の関係です。左脳が言葉を司り、右脳が映像を司ると仮定します。左脳と右脳は脳梁(のうりょう)と呼ばれる、パイプのようなものでつながっています。女性は男性よりも脳梁が太い。すなわち、左脳と右脳の連絡がさかんです。女性は、話しながらどんどん色々なことが思い付きます。女性がおしゃべり好きなのは、ある意味当然です。

 上記の天才たちは、男性でありながら脳梁が著しく太いのではないかと推測されます。だから、右脳の映像イメージがどんどん左脳に送られる。映像を言葉として捉えたり、言葉を映像として捉えたりすることに長けている。
 
 では、なぜ学習障害児というレッテルを?

 男性が論理的なのは、1つの時に1つのことしか考えないからです。だから冷静な情報処理が得意です。1つ1つ、筋道を立てて考えていくわけです。ところが、左脳と右脳の連携がいい人は、1つのことに結論が出る前に、次々にいろいろなことが思い付いてしまいます。結果、話が取り留めのない感じになりやすいのです。きっと天才たちは、小学校の先生が話している間に、自分の頭の中で、複数のことを同時に考えていたのでしょう。結果、集中力がないように見えたり、物覚えが悪かったように見えたのです。

 共感覚は後天的に習得可能とも言われています。
 
 ・何か食べた後、色に例えたり
 ・何か見た後に、手触り感に例えたり

 感覚を融合させて表現することを習慣化すれば、ある程度、身に付くと言われています。もし、それを0才~3才までに保護者が意図的に練習させれば、子どもは共感覚を持ちうるかもしれません。

 ただ、今回の記事は閑話休題で雑学です、と最初にこだわったかというと、その必要があるかどうかということです。共感覚はたしかにすごいですが、人の役に立つか・どうかと言えば、かなり微妙です。現に、上記の天才たちは結果として偉業を達成して名を残したかもしれませんが、幼少期からいじめにあったり、劣等感に悩まされたり、中には早死していった人もいました。


 天才だったからと言って幸せだったかどうかは、本人に直接聞いてみないと何とも言えません。

 「あの人は頭がいい!」

 の99.999%はハズレです。99.999%の人は普通なのです。学校の勉強ができるくらい、共感覚者のような天才でなくても出来るようになります。ただ同級生と言えども発達速度が違うので、習得する時期が違うだけです。たとえ中1のときに数学が苦手だったとしても、中3になってから中1の問題を解かせれば、簡単に解いていきます。学力はつねに向上していくのです。セルフイメージさえ傷つけられていなければ。

 早期教育は必ずしも英才教育を意味するものではありません。
 
 保護者としては、将来、どんな子になって欲しいかという大まかな方針だけ持っておき、あとはとにかくストレスフリーの普通の子に育っていくことが本人が幸せになる可能性が高いと言えるでしょう。

 天才へ育てる!と過度に力んでしまうと、早期教育は諸刃の剣として返ってマイナスに働くこともあります。

 ということで、今回の天才の話は「ふ~ん」という雑学程度で読んでおいて下さいませ。
 
 愚者は賢者からも学べず、賢者は愚者からも学ぶ
 
 今号もお読みくださり、ありがとうございます。
 それでは、また。

 白坂慎太郎


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 追伸:共感覚者という面も含めて、日本の天才といえば苫米地英人博士でしょうね。「天才っているんだぁ・・・」 努力では越えられない壁を感じさせてもらえます(笑)


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