今や大阪を代表する観光エリアとして多くの観光客が訪れる新世界ですが、昔から観光エリアとして認知されていたわけではありません。
私が子供の頃から、新世界は危ない、汚い、怖いと言われ、ガラが悪いイメージがかなり強い街でした。
私が若い頃、新世界で住んでると言ったら、
『ようそんなところに住めるなぁ。女の子は行ったら危ないて聞いてるで』
みたいなことを言われることがよくありました。
しかし、時代とともに街は変わっていきます。
新世界も約半世紀の中で、大きな変化がありました。
1960年代、新世界には映画館が多く、新世界で全ての最新映画を観ることができました。
その後、カラーテレビが普及し、映画館が厳しい時代になっていきました。
1980年代、映画館の跡地にパチンコ屋さんが進出しました。
一時期、新世界に10店舗以上のパチンコ店がひしめき合ってたこともありました。
しかし、バブル崩壊以降、度重なる法律改正もあり、パチンコ屋の数は減少。
そして現在では、新世界には40店舗以上の串かつ店が営業しています。
現在、新世界にはパチンコ屋の数は0になりました。(マルハン新世界店は除く)
約半世紀の中で、新世界は映画館の街→パチンコの街→串かつの街、に様変わりしていきました。
約半世紀で、庶民の繁華街から、大阪を代表する観光エリアに変貌したことになります。
ジャンジャン横丁の入口、今は『串かつ おうじ』になってますが、昔はパチンコ屋だった時代もありました。
写真映えする看板が目立つ『串かつ たこ焼き 大丸』も以前はパチンコ屋でした。
串かつ屋さんが並ぶ新世界のメイン通り、以前はパチンコ屋さんが3店舗ほどありました。
一瞬、4店舗になったことがありましたが、すぐに潰れたと思います。
そのパチンコ屋ができる前には、映画館だった場所もありました。
ジャンボ 釣船『つり吉』は観光客に大人気ですが、以前は『ジャンボ』というパチンコ屋さんでした。
もっと前は、大映という映画館でした。
子供の頃、大映にガメラ映画を観に行った記憶があります。
これらはほんの一例ですが、他にも様々なお店が時代とともに変わっています。
通天閣に長蛇の列ができてますが、以前は通天閣に待ち時間があるなんて考えれなかった時代もありました。
若い世代の観光客、特に若い世代の女性が増え、外国人観光客も多く、新世界は昔のイメージを払拭してきました。
これから将来、私達の子供や孫が、新世界で生まれ育ったことが誇りに思えるような街になっていくよう、ますます発展していくことを願う今日この頃です。