先月は広島の尾道への出張が一本、年明けは高知へ一週間ほど出張する予定が入っています。今月はほとんど愛媛県内でリフォームの仕事をしています。気候も温暖で、海も山も美しく、暮らしやすさという点では世界有数といえるのではないでしょうか?宣伝べたではありますけど。(まるでうちの棟梁ですね)
 

 今年も残すところあと2か月。気持ちのいい方たちとの出会いやお仕事にも恵まれ、忙しいながらも順調な日々をすごしています。本当にずっと永遠にこういう平和な日々がつづいてくれると、よいのに。消費税があがってしまったら材料費もあがってしまうし・・・。たまにニュース番組を見ると、心配ごとばかりです。


 棟梁は映画が好きなのですが、映画館に行く時間がとれないので、もっぱらテレビかレンタルDVDです。

 その中の一本がクリントン・イーストウッドが自ら監督した「マディソン郡の橋」。たしかあれは嵐山光三郎氏も厳しいコラムを書いていました。世間の夫を震撼させたとも言われ、一般では賛否両論の作品だったようです。
 


 けれども、棟梁はそういう風評とは関係がなく、あふれる詩心や素朴な田舎の風景に魅せられ、「アメリカに行ったらぜひマディソン郡の橋に行ってみたい」なんて、よく話していました。

 アイオワ州のマディソン郡にはああいう屋根付きの橋が6つあり、あの映画の舞台になったローズマン・ブリッジは1883年に建造されたそうです。2度の改築を経て、今もなお現存しています。


 シカゴからは車で片道7時間ぐらいのドライブになります。暑い日だったので、途中でのどが渇き、「コーラでも買おうか」という話になったのですが、トウモロコシ畑がえんえんとつづき、自動販売機はもちろんのこと店なんてないのです。ウィスコンシン州に用事があったので、そこの州都マディソンで一泊してから、ミシシッピ川をこえ、アイオワ州のマディソン郡へ。

 映画のはじめのほうで、道に迷った写真家が農場に立ち寄り、ストりープ扮するフランチェスカに道を聞くシーンがあります。行ってみたら本当に目印がなくてわかりにくく、、舗装されていない道路がつづくので、砂埃で車の色が変わってしまいました。

 ウィンターセットの町中には観光局があり、そこでもらった地図がいちばん役にたちました。映画にちなんで、ローズマンブリッジにつづく道路はフランチェスカ通りと命名されたのですが、めだつところに看板があるわけでもなし。今はどうか知りませんが、当時のカーナビにはまだフェンチェスカ通りは入っていませんでした。

 ようやくたどりついたローズマン・ブリッジは、感激ものでした。野生の小鹿がパーッと横切って行き、カップルたちが次々と訪れ、写真をとったり、静かな雰囲気を楽しんでいました。来た人たちが橋の内側に落書きを残していて、ほとんどが英語ばかり。中国語が少し。日本語の書き込みはひとつもなかったので、ここまで来る日本人はあまりいないのかもしれません。

 棟梁は棟梁らしくオール木造建築だということを確認し、橋の下から眺めたり、興味深そうでした。川に近い部分の柱は金属のカバーで覆われていましたが、土台もすべて木製なのです。ウッドデッキやバルコニーも木製にしてしまうと、水が近いところだと5年ぐらいで腐りはじめてしまう日本とは、やはり湿気がかなり違いました。

 足元に細かく埋め込まれているのは、おそらく虫除けの防腐剤だろう、と棟梁は推測していました。左下の写真です。
 一時期は橋の横におみやげやさんができていたそうです。右下の写真です。これはもう閉まっていました。

 デモインという州内の町から来ていた老夫婦はこの景色が好きで、四季折々にここまで来て、6つの橋を全部まわることにしているそうです。その方の話ですと、ここから2マイルほど離れたところに映画の撮影で使われたフランチェスカの家があったのに、残念ながら放火事件で消滅してしまったそうです。あの映画と建築をこよなく愛する棟梁は、「見たかったな」と、とても残念がっていました。



 この下の写真、道の真ん中には小さな野生の鹿がいるんですけど、見えにくいかもしれません。ともかくあっという間のスピードで、立ち去ってしまい、次の写真には影も形もうつっていませんでした。

 洋風建築の話題がつづいてしまいましたが、数寄屋作りや伝統的な技法にも、棟梁の原点があります。次回は棟梁が設計&施工した松山市内の超和風建築を紹介したいと思います。