清水寺の子安塔から谷を挟んで本堂などを見るとこんな感じ。
崖の交差するあたりに本堂や奥の院が建っている。
ブラタモリによると、切り立った崖の入り組んだあたり、
という場所が観音様の居られる場所という風にお経に書いてあるらしい。
その様な地形と似た場所、ということで、霊場として発展していったらしい。
平安時代ごろにから観音信仰が流行り始め、
江戸時代初期頃には盛んになったという事のようです。
それに伴って参詣客が増えてゆき、
尾根の上の空き地に造ったお堂では入りきれなくなってゆき、
はじめは山のほうを削って平らな場所を作ってお堂を大きくしていった。
けど、境内一帯の地鎮のために造られていた地主神社の境内まで、
削って平らな場所を作るわけにはいかなくなってしまった。
そこで、崖の上にあるお寺本堂の床を拡張するようになった。
それが懸崖造りの現在の本堂となった。
という事のようです。
ちなみに
これもまたブラタモリよりのネタなのですが。
正面の本堂は切り立った壁のような崖は「音羽の滝」として流れている川によって作られたらしい。
右手の崖は、京都盆地の東を縁取るように南北に走っている断層によってできているらしい。
この断層で盆地の東にある岩の塊が(相対的に)持ち上げられて東山となっているらしいです。
盆地の西側にも南北に走る断層が同じようにあり、
相対的にあいだの地面がくぼむことで盆地となっているらしいです。
奥の院から子安の塔辺りを経て音羽の滝に向かう坂道の途中に、
このように岩が顔を出しています。
この岩はチャートといわれる石で、
2億年ほど前に海の底に沈んだケイ素を多く含むプランクトンの死骸によってできているらしいです。
同じような種類の石は、嵐山のあたりにも見ることが出来るようです。
そして、盆地の底の地面の下数百メートルにも同じような岩があるようです。
その上に積もっている、川によって運ばれた砂などの層には、
琵琶湖に匹敵するほどの地下水がある、とも言われているようです。
その地下水は、とりもなおさず酒造や、名物とされる豆腐などを今日も支えています。
ただ注文通りに写真を撮れるだけでなく、
学校の外の人として学校の中だけとは違う事の一つくらいは用意しとかないとね。
関西へ修学旅行のご同行で来られる写真館方のお手伝いなどをしています。