奮闘928日目〜言葉に宿す | シノザキ奮闘記のブログ

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いろんな小話をアップしていきたいと思います(*^_^*)


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どうも広告資材部『語句にはうるさい』福永です。まぁ、理系なんでその辺りの因果については感覚ではなく、理論で考える頭でっかちだと思います。

さて、秋の夜長になんとなく。
格助詞について考えてみました。秋の読書に耽っていると、受験生でもないのに、そうしたWardについて取り上げたくなるものです。

格助詞とは一般的に、対象との距離を表現するための助詞と言われていると思います。表現が覚書程度なのは、調べたバックボーンがあるわけではないので…です。まぁ、印象的にそんな感じだったなぁって思いまして。

この辺の感覚は、例出していったほうが分かりやすいので、出しますです。

例えば、
①目標に向かって私は頑張ります。
②目標に向かって私が頑張ります。

①と②では、〝は〟と〝が〟が違います。ただそれだけなのに、私が持ってる責任の重さと覚悟が違う気がします。①はどちらかといえば私以外の第三者がいての目標に対する決意で、②は目標に対しての純粋な決意。①は横並びの第三者を見据えてる気がしますが、②は第三者より前の立場にいることを自覚している気がします。

さらにもう一つ。例を。
③やらないといけない事について気を留める。
④やらないといけない事について気に留める。

③については気を留める対象は自分。一方で④については、より広い範囲で自分とその物事。③は集中的で④は分散的なイメージが湧きます。

考えてみると、我々は。
こんな感じの難しい日本語を言葉として普段口にしています。改めて考えると、その深さたるや半端ないけど、それを意識して感じ得ないと、言葉について普段使いの毎日です。

なので、宿す言葉の重要性をちゃんと考えないとって思います。軽口で言った言葉の先に、相手がどういう印象を持つのかについて。営業マンなら感覚的に身についてるかもしれないけれど、それを誰もが持っているとは限りません。

なので、我々はそういった配慮を後輩達やら部下達にしないといけないと思います。

ただの一つの言葉の選び方で、売上の大小に関わるかもしれません。その責任を誰が取るのか、誰に取らすのか。格助詞が選び出す対象の範囲如何によって、責任と義務が大きく変わるような気がします。

ではではっす^_^

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