内閣改造が話題になっている。下がった支持率の上昇も期待されているが、内閣改造とはそんな理由で行うものなのだろうか。
当たり前のことだが、閣僚の顔ぶれを数人替えたところで、中心が替わらなければ、やることは結局同じ。であれば、支持率が上昇するはずもなく、反省したふりをした姑息な手段に、ますます愛想をつかされるだろう。そもそも、イエスマンからイエスマンに替わったところで何かが変わるはずもない。
為政者たる資質も能力もなく、有権者から駄目出しを食らっている張本人達が、他人の首はすげ替えて自分達はあの手この手で居座ろうとする。まさに、地位に恋々としがみついている。
「執着の国、日本」 シン・日本会議