【御報告】 | 新村享也の元気のミナモト

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2023年2月28日5時28分に母が永眠しました。


69歳でした。


母の事をご存知の方も多くおりますので

ここでご報告させていただきます。




告別式の日の空



僕がHIROZというパフォーマンスチームで公演をしていた頃、ファンの方が母と仲良くしてくださっていたのがとても印象に残っています。


実家にはその時に頂いた写真、DVDなどがまだ溢れております。

母もそれを観るのがとても好きだったと話していました。



晩年、母は毎日戦っていました。

父はそれをずっと力強く支えてくれていました。


元々、母は先天性の心臓病持ちでした。


10代、20代、30代と3度大手術を行い、晩年の数年間は酸素マスクと酸素ボンベを持ち歩いての生活でした。

薬の数も多く、飲むのに30分かけて飲むくらい大変で、食事も体重管理が必要な為、医療給食を使っていました。


入退院を繰り返しながらも最後まで戦っていたんです。


全てが終わった最後の顔はとても安らかに笑って寝ているように見えて

ああ、やっと休めたんだねと感じたほどです。


亡くなる直前、僕は病院の個室で見守ることが出来ました。

話すことは叶いませんでしたが、意識が朦朧としている中でも声は届いていたと信じております。



30歳までは生きることが出来ないよと言われて育った母


子供を産むことが出来ないよと言われ、それでも「子供が欲しい」と話して、大手術を行い、その後、帝王切開で僕を産んでくれた母


父と一緒に石川、香川、東京と舞台の応援に来てくれていた母


母は、人当たりが良く色んな方と接するのが好きでした。


通夜、告別式は100名近い方が母に会いに来てくれました。


関係者のみの葬儀の予定が、蓋を開けたらとんでもないことになっていました。






母さん


皆、母さんの事が大好きだったんだよ。


数が全てじゃないけど、正直、父さんと僕だけじゃなくてあんなに沢山の方が涙を流してくれていたのが誇らしかったし、寂しかったです。


もっともっと生きていて欲しかった。


でも、この数年の間、しんどそうな顔を見てきたから、


なんていうんだろう


頑張ったよね。


ほんと頑張ったよ。


ゆっくり休んで欲しい。


父さんとはそんな話をしているよ。


70年


まだお若いのにと話された方もいたんだよ。


でもね


10代の時は20歳まで生きられない


20代の時は30歳まで生きられない


って言われ続けていたのだから、


凄いよ、70歳近くまで生きたんだよ。


カッコイイよ。


やっぱ寂しいけど、


父さんの事もあるから、


これからは2人で楽しめる事を探さなきゃね。


母さん、ありがとう。






話したいこと、書きたいことが


まだまだいっぱいいっぱいあるんですが、


それは、ここには書かず、直接伝えようと思います。


すみません。



母の事をちょっとでも知っている方もいますので、


あえてブログで書かせて頂きました。


母の事を愛してくださりありがとうございました。