きのうのつづき、今日はまず祓詞を訳してみます。
心に思うのも恐れ多いイザナギノ大神( 1 )
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で
みそぎをしてお祓いなさったときに
お生まれになった祓戸の大神たち
さまざまな悪い事、罪やけがれがあるのを
お祓いくださり、お清めくださいと申し上げますことを
お聞き届けくださいと恐れながら申し上げます
ここで問題。
問一 ( 1 )に入る平仮名を一字で答えなさい。
問二 「お祓いくださり、お清めください」と申し上げているのは、どの神に対してか答えなさい。
こんな問題を出すのは、とんでもない誤読をする人がいるからなんですよ。
というのも、この「祓詞」において祓ってくださいとお願いしている神様は
祓戸の大神たちです。
イザナギノ大神ではありません。
したがって、問一の答は「が」、問二の答は「祓戸の大神たち」です。
「イザナギノ大神」から「お生まれになった」までは、「祓戸の大神たち」にかかる形容詞節です。つまり、「祓戸の大神たち」をより詳しく説明している言葉のカタマリ(なお、「心に思うのも恐れ多い」がこの形容詞節に含まれるかどうかは、はっきりしません)。
祓詞の作者がかりに「イザナギノ大神」と「祓戸の大神たち」のどちらにもお祓いしてください、という意味で書いたんだ、というのであれば、実に文章が下手だと言わざるを得ません。それならば、「筑紫の日向の」以下「お生まれになった」は余計ですし、「祓戸の大神たち」がどんな神様かを説明するために付け加えたのだとしても欲張り過ぎです。
ここでまた問題を。
問三 この祓詞が成立した時期は次のうちどれか。適当なものを次の中から記号で選びなさい。
①神代
②奈良時代
③室町時代
④明治時代
私も正確には知らないのですが、これは明治に入ってからでしょう。もしかしたら、現行の文に確定した時期は、大正に入っているかもしれません。それでも明治に入ってからのものは、ほぼ今と同じですから、正解は④です。
江戸時代の終りに、平田篤胤が諸社で行われているお祓いのための言葉を取捨選択して編んだ「天津祝詞(禊祓詞)」を参考に、明治時代に入ってからその門下生が作ったものだと思われます。
今「作った」と言いましたが、祓詞も作っていいんです。改変可能。実際、葬儀後や、お墓を建てる前の地鎮祭のときの祓詞など、神社本庁の書籍を見ていると何種類かあります。
私なら、
掛(か)けまくも畏(かしこき)き
祓戸(はらへど)の大神(おほかみ)等(たち)
祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと白(まを)す事(こと)を
聞(きこし)食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す
としたいです。神主学校の学生のとき、祭式の先生が「勘違いする人がいるから、この方がいい」と仰っていたのと同じです。
それか、もっと短くして、
祓戸(はらへど)の大神(おほかみ)等(たち)
祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へ
「祓へ給ひ清め給へ」は神道の根本に関る最強の祝詞(というより唱え詞といった方がいいかもしれません)であります。ちまたで「ありがとう」が最強の祝詞だと言われているそうですが、いくら感謝されても、それで社殿にあがってご祈祷をお受けくださいなんて、とても言えません。もちろん、ありがとうではお祓いできないからです。
また、この祓詞、大祓詞とセットになって紹介されることが多いので、「大」祓詞に対してその省略形、簡単にしたものだと考える人がいるかも知れませんが、違います。
少なくとも今日の大祓詞の原型である平安時代の「六月晦大祓」の「大」には、「国家の」という意味がありました。つまり天皇陛下の仰せで行われた祓だったわけです。
その後、神前でも奏上できるように改変された祝詞による祓が行われだし、今日に至りますが、このことの意味を考えだすと話が余りに拡大してしまいますので、やめておきます。