催馬楽は、「奈良時代の民謡で、馬を牽く時に歌ったものを、平安時代に至って、唐楽と共に雅楽の中に入れ、歌曲としたものである」と、このように神社本庁編『神社祭式同行事作法解説』という、神主にとってとても馴染み深い本に書かれています。


また、小学館の日本古典文学全集25を開いてみますと(底本は鍋島家本、校注・訳は臼田甚五郎)、61編おさめられていました。さらに調べますと上記の「平安時代に至って」という部分、具体的には仁明天皇の御代に様式が確立、醍醐天皇の御代には大成されたとのことです。これを「歌」とすると、「詞」は各地方の民謡や伝承歌謡で、「メロディ」は雅楽、ということになります。


上にあげた『神社祭式同行事作法解説』では、祭典の最後、直会の際に以下2編の催馬楽を用いるとよいと記されています。


●更衣●
己呂毛可戸世旡也 左支旡太知也 和可支奴波 乃波良之乃波良 波支乃波名須利也 左支旡太知也


更衣(ころもがへ)せむや さきむだちや 我が衣(きぬ)は 野原篠原 萩の花摺(はなずり)や さきむだちや


●伊勢の海●
伊世乃宇美乃 支与岐名支左爾 之保加比爾 名乃利曽也川末牟 加比也比呂波牟也 多末也比呂波牟也


伊勢の海の 清き渚に 潮間(しほがひ)に なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや


原文、漢字かな混じり文の順にご紹介しました。


「更衣」の現代語訳は「衣がえしましょうよ。私の衣は野原や篠原に生えている萩の花を摺りつけた衣ですよ」、「さきむだちや」は囃し言葉であります。前述、小学館の全集では男女の交情の歌とありますが、皆さんのご想像にお任せします。


「伊勢の海」の方は「伊勢の海の清らかな渚で、引き潮の間になのりそを摘もう。貝を拾おうよ。玉を拾おうよ」。「なのりそ」は海藻ホンダワラのこと、「名を告(の)るな」の意味もあってよく和歌でも詠まれます。また、玉は今日いう真珠のことで、昔の人は波打ち際に打ち寄せられた貝に生じる真珠に、霊性がこもっていると感じていたそうです。


「伊勢の海」というと四股名のようですが、かなり人気の曲で、『続後拾遺和歌集』の大伴黒主の歌にこの催馬楽を下敷きにしたものがありますし、『源氏物語』の明石巻にも「伊勢の海」を謡っている場面が出て来ます。