真解鑑定師 藤田 恭子です。





瀧本先生のブログ

「与える法則」のトリコになろうぜぇ





私は常に心掛けている事があります。



それは、

人と最初に会った時と別れる時は

「必ず飛びっきりの笑顔をむける!」

と言うことです。




朝、出勤した時

飛びっきりの笑顔で挨拶をする。

そして、

退社する時も飛びっきりの笑顔で

別れる。




朝一番、笑顔で挨拶をすると

その日、1日がとても清々しい気持ちで

過ごせるような気がします。

そして

別れ際も飛びっきりの笑顔で別れると

今日もいい1日だった( ◠‿◠ )

と思えるのです。




もし別れ際に

暗い顔や怒った顔で別れたら

何となく後味が悪いし

その人と次、会うまでに

ずーっと、その事が気になってしまう。




その上

もし、次に会えなかったら

もう、これが最後だったとしたら

とても後悔が残ってしまいます。

だから、必ず笑顔の印象を残して

別れたいのです。




笑顔で会って、笑顔で別れる。

笑顔を惜しみなく与える。

心掛けています。




ところが

「おはようございます」と

挨拶をしても

こちらを見ないし

返事が返って来ない人がいます。




挨拶する、しないは相手の課題。

私が入れる領域ではないので

挨拶してくれない事に

特に腹が立ったりはしないのですが

少し寂しくなる時があります。




これって、

見返りを求めているんですね。




以前、こんな事がありました。

私は店舗勤務なので

毎朝、お店の掃除をします。



お客様に清潔で心地よい空間で

お取引きしてもらいたいと

スタッフ3人で30坪の広い店舗を

掃除機を掛けて、雑巾掛けをしてと

30分かけて掃除します。



いつものように掃除をしていたら

当時、着任したばかりの店長が

「何時も掃除してくれてありがとう」

と労いの言葉を掛けてくれました。



思ってもみない言葉を掛けてもらい

その時は本当に嬉しかった!

俄然、やる気が湧いてきたのを

覚えています。



その労いの言葉を店長は

毎日、掃除するたびに伝えて

くれたのですが、

3ヵ月、4ヵ月と経つと

何となくモヤモヤとしてきたのです。



そして、

また労いの言葉を掛けて貰った時

私は

「たまには掃除してくれたらいいのに!」

とイラッとして思ったのです。



ハッとした私。

労いの言葉を

毎日、掛けてくれている店長は

とてもいい人なのに

私はその労いの言葉に段々と

苛立ち覚えていたのです。



なぜそんな心になるのかを

瀧本先生に質問してみました。



すると、それは

「見返りを求める心」

だったんです。



最初の労いの言葉

「何時も掃除してくれてありがとう」

は私にとっての1回目の「見返り」

だったのです。



その時は見返りを貰えたと

心は満足したのですが

それが、当たり前になってきた時

次の見返りを求める心が

出て来たのです。



もっと、もっとと求める心。

今のはではない違う見返りを

求め出したから苛立っていたのです。




だから

初心の心を忘れてはいけないよ。

と教えていただきました。



私達はこれだけやってあげたから

何か頂戴!

と見返りを求めてしまう。



それは、

ただ与えている事ではないですよね。




「無功徳」

という教えがあります。




これは、

功徳が無いと言う意味ではありません。



功徳と言うのは善の行い。

善い事をしたら、それと同等の

何か見返りを求めてしまう。



けれど、

善い行いをしても

その見返りを求めない心

それを「無功徳」といいます。




つまり、

自ら行った善の行い自体を

無かった事として忘れしまおう。

と言う事です。




お釈迦様の言葉に


人にやって貰ったことは

岩に刻み

自分がやったことは

水に刻む


という言葉があります。




人にしてもらった事は

胸に刻み感謝をする。


自分がしてあげた事は

綺麗に水に流し忘れる。

と言う事です。



私達はその真逆!

人からしてもらった事は

すぐ忘れるのに

人にしてあげた事は

ずーっとしつこく覚えている!

まだまだ、愚かものです(>_<)



見返りの心を持たず

ただただ、惜しみなく与えてる。

これからも精進していきます照れ




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