思い出の新潟


りゅーとぴあ。




誕生日に観た


時広真吾さんの舞台は


すごいインスピレーションが


湧いてきて




舞台を観たあと


私が20代までにしてきた仕事について


考えて帰りました。



20代は


時間内に


どれだけのこと(数)ができたか?



とりあえずの形にしたものの


早さと数を競い


評価されていたなと。




だが芸術の基本的な考え方は


それとは全く違っていて




どれだけその1つの作品に


時間をかけて、想いを込めて


造られたものなのか


という部分をみる。




20代までに染みついた考え方とは


真逆で




なんでも早い方がいい


沢山あった方がいい


新しい方がいい


意味が通っていればいい




という考え方では


理解できないものでした。



見方がわからなかった。




たった1つをじっくりと


感性で観る、読む



ということは



もちろん教えられてきたし


知ってはいた




だが


その良さを理解するのに


20年くらいかかった



(アホなんかな😆)




芸術というジャンルにいながらも


わかっていなかった


ということになる。




意味が通るように


形を早く作って


上っ面なやり甲斐を稼ぐ



という考え方でやってきたように思う。




とりあえず形にする力


とっかかり力



別のことを同時進行でやる


という力はついたのだが




「命が宿るまで、その1つを磨く」


みたいな


こだわり力は



まだ完全には身についていない。




1つのことに時間をかけるなんて


なかなかできる事ではない




日常は


実用ベースで考えるので




機能性、スペックの高さで


評価され



新品、新製品


新鮮で若いほどいい


みたいな価値観が


普通なのだが




芸術は違っていて



詫び(質感)で感じとり



なおかつ


寂び(時の流れ)を


感じられるものなら



尚いい


となる






苔なんて


まさにだね。




侘び寂び(わびさび)



そこに価値を見出しやすい


日本人の感性は



そのまま


芸術を理解する感性でもある



見た目や意味ではなく



そこに在るものを


よく読んで

よく観て


世界を味わう


そのためのトレーニングが



道である。




その大元には



がある。




芸術をする人なら


磨いていくべき


その感覚を




勉強しながら


ようやく理解できてきた


45歳



どんな状況に居ても


意味では捉えず



感覚の贅沢として


味わえるようになってきました。




そういうことを教えてくれている


歴史の天才達にも


感謝しています。