おはようございます☁️



今日は昨日の記事のつづき

東洋思想の勉強の備忘録


少しだけマニアックな内容です。



「真美と嘘」



生まれてから

白と黒しかない部屋で生きてきた人に


「赤」という色を伝えるには

どうしたらいいか?



「赤い」という色を見たときの

あの独特の感覚(クオリア)を

どう伝えたらいいか?


例えば

「りんごの皮の色」とか

「夕焼けの空の色」など

比喩(メタファー)で伝えてみても


白黒の部屋から出たことのない人には

意味で、理解できるはずもなく



ただただ赤を説明した言葉が

語られるだけ



私たちが赤を見たときの

感覚を共有することは

不可能です。



「個人の体験そのもの」を

他人に伝達することはできません。



それは私の「赤」と

あなたの「赤」が同じであるかどうか


似ているかどうか

異なるのかどうかを


確認する手立てはないからです。



これと同じ難しさが

東洋思想の伝達においても

起きています。



まず西洋の場合、

知識は

論理的な話しで

伝達可能である。



だから学問は体系化し、細分化し、

論理的に説明されてきたことで

世界中で共有できるわけです。



しかし東洋思想は

体得なので

説明できないのです。



東洋知にとっての悟りとは

「そうだったのか!」という

自らの体験です。


なので言葉、文章、説明、勉強だけで

伝達することは不可能。


となると、どうすればいいのか。


そこで考え出されたのが

「虚言」です。



「言葉の意味を信じるな」

ということを

教えるためにします。



真理(悟り)以外は全部嘘


という東洋思想の世界観の中では、

どんな教えも

悟りを目的とした嘘を含んでいる。



正しい言葉でもなければ

真理を説明した言葉でもないのです。



なので

白黒の部屋にいる人に

「赤」を伝えるためには


実際にその部屋から連れ出して

「赤自体」を見せなければならない。


体験してもらわなければならない。



最初の問いに戻ると

「赤」についての本を読み漁り

誰よりも知識を蓄え


非の打ち所がないほど

「赤」について説明できるように

なったとしても、


白黒の部屋にいる限り

「赤」を理解したことにはならない。


そのような人に、部屋から出て

外の景色を見ようと誘っても、


自分は誰よりも赤について

「分かっている」と

頭でっかち(意味での理解、知識)

になっているはずで


そう素直に応じてはくれないでしょう。



部屋を出ることのメリットを考察し、分析し、

それで赤についての理解が

どれほど深まるのかを統計的に予測し


結局部屋からは

なかなか出ない時間ばかりが

増えていくでしょう。



どうしたら

的外れな努力を続けている人を

部屋から連れ出せるか?


その方法が「嘘をつく」ことなのです。



例えば

「火事だーーーーー!!!」と

叫んでみると


その「真っ赤な嘘」によって、

慌てて部屋の外へ飛び出す


そのとき目に飛び込んできた

自分の感じたことのない

白と黒以外の世界。



西洋思想の「意味理解」に

どっぷりと使っている私たちにとって

必要なことは


自分自身の体での実感覚である。