1945年8月15日、昭和天皇(裕仁天皇)による「玉音放送」があり、第二次世界大戦が終結しました。

 

 太平洋での戦況が悪化し、米軍機から空襲を受けて疲弊しているところに、米軍機から広島と長崎に原爆が投下されたことが決定打となり、日本は敗戦を認めたと語り継がれています。

 

 しかし、昨年のブログにも記載しましたが、米軍機から原爆は落とされていません。

 

 世界の歴史上では「米軍が日本に原爆を落とした」ことになっているが、それはなぜだろうか。

 

黒い雨

原爆写真

 当時、原爆が爆発した時の写真をみると、空中で爆発したのではなく、地上で爆発しているように見えます。

 

ゼロ戦パイロットの証言

 当時、戦闘機ゼロ戦のパイロットとして、広島上空に居合わせた元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏が次のように述べています。(Xより

 

 「米国の戦闘機はいなかった。下から爆発した」と。

 

広島原爆

 下の写真は、朝日新聞が、うっかりクレーターと報道した広島原爆の爆心地(元安川)の写真。

 

 赤い丸の部分の護岸が破壊されています。

  

 地上起爆というよりも、正確には「水上起爆(水面爆発)」です。

 

 大きな原爆本体を船に載せて爆心地まで運び、爆発させました。


 だから、爆発当時は、晴天にもかかわらず、その直後に「死の灰を含む黒い雨」が降ったのです。

 

 空中や地面で爆発したのならば「黒い雨」は降りません。

 

坂本九

 アメリカで「上を向いて歩こう」を含んだレコードジャケット「SUKIYAKI」の写真で、


 坂本九の指は「上空」を指さしています。

 しかし、腰掛けているのは「火薬」と書かれた箱です。

 つまり、
上空に注目しつつ、火薬は地上にあることを暗示しています。

 

 

 1985年8月12日、坂本九は日航機123便に搭乗していたため、墜落事故に巻き込まれて死亡してしまいました。

 

 坂本九は「手配は必ず全日空(ANA)で」と指定していたが、当日は満席だったため仕方なく確保したのが「日本航空123便」でした。

 

 これは偶然の事故に見せかけた殺害ではないでしょうか。

 

水上起爆を知られては困る

 世界の歴史上「米軍が原爆を日本に落とした」ことになっているが、なぜ、真実を国民に知られるとまずいのだろうか。

 

 それは、広島県の元安川まで、船で原爆を運ぶとなると、米国の船では運べません。

 

 もし、敵国の船が、日本の本土近くを航行していたら、即座に攻撃されるからです。

 

 だから、広島県の元安川まで原爆を安全に運ぶには、日本の船でなければなりません。

 

 つまり、水上起爆が周知されると、自作自演だったことがバレてしまうわけです。

 

 また、次のような事実もあります。

 

 陸軍元帥 畑俊六は、昭和20年8月6日に「米国上陸に対する作戦会議」と称して、西日本の司令官達を秘密裏に広島に招集させました。

 

 さらには、県知事や市長などの大物議員まで広島に集められ、夏休み中の子供たちも学校に登校するよう命令されたのです。

 その結果、8/6に全員爆死しました。

 

 一方の招集した陸軍元帥 畑俊六は、数百キロ離れた福知山に逃げていました。

 

 こうしてみると「戦争で戦って負けた」というよりも「戦争に負けるように仕向けられた」というのが正しいように思えます。

 

 つまり、日本の内部、しかも最上層部に敵がいた、ということです。

 

 その結果、戦後、約79年経った今でも、日本は事実上、米国の植民地下に置かれ、米国から搾取され続けられています。

 

 もう二度と、このような悲惨な戦争を起こしてはいけません。

 

 本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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