自分などこの世にいる意味がない、
消えてなくなってしまいたい、
虚しい、無気力感がひどい、
すごい孤独を感じる、
そんな気持ちを持って毎日を生きるのは
堪え難いことだと思います。
一体、何が私たちの人生を生きづらく
させているのでしょうか?
人生の苦しみの根本はどこにあるのでしょう?
あなたを傷つけているものの正体は何か?
そこから解放される方法について話します。
そのひとつに
「自分自身のルール」
があります。
自分自身のルールが、刃物のように自分を
切り刻み、痛めつけている
私たちは、自分自身に対して様々なルールを課しています。
ルールで自分をぐるぐるに縛り付けて
不自由になり苦しそうに顔をゆがめているのです。
例えば、
「私はいつも完璧でなければならない」
というルールを持っているとします。
このルール一見すると素晴らしいものの
ように感じます。
完璧を目指すことは自分を成長させるために
絶対に必要なことです。
限界までやり切らなければ、結果を
出すことは不可能です。
なので、完璧であらなければならない、という
ルールは一見素晴らしいものに見えます。
内容そのものは素晴らしいのです。
だから、完璧を目指す!完璧にやる!
ということなら何の問題もないのです。
問題は、「こうでなければ、ならない」という
ところにあります。
この「こうでなければ、ならない」が私たちの生の
心にぐさりと容赦なく刺さってくるナイフです。
いつも完璧でいなければ、ならないと思って
いても、完璧にできないこともあります。
その瞬間にルールというナイフがくるりを
向きを変えて、自分に向かってくるのです。
まず、最初に、
「何で自分は完璧にできないんだ、と自分を責めます」
そして、ナイフをかわすために
「これは自分だけのせいじゃない、○○のせいで
こうなったし、運悪く色々なことが重なったからだ」
と、自分以外の誰かにナイフの刃先を向けるように
なります。
「そもそも、誰がこんなむちゃくちゃな計画を
立てたんだ。無理なことをやらせようとして!」
「完璧にやれることはやったのに
どうして、こんな思いをしなくちゃいけないんだ」
こうなると、他人への感謝を忘れ、自分が恵まれて
いることを忘れてしまいます。
他人に対して、不満ばかりを感じるようになって
周りを許せなくなります。
頭の中では文句がずっと渦巻いている
自分の辞書には文句しかない、状態になってしまいます。
そして、次のステージに入ります。
いかに自分が悲惨でかわいそうな人か
ということばかりを考え始めます。
“自分かわいそうがり”病の始まりです。
「どうして自分だけこんな目にあわなきゃいけないんだ。」
「自分の能力が足りないのは、自分の人生がだめなのは、
親のせいだ!」
「自分がどんなに傷ついて苦しんでいるのか
誰も周りの人なんか、分からないんだ。」
自分なんか、自分なんか、、、。
と、いじいじ恨みつらみいっぱいになります。
そして、周りのもの「全て」をナイフで切り刻みます。
全てを手当たり次第に切り刻みます。
そして、もう刻むものがなくなったら、、
再びナイフの刃先は自分に戻ってきます。
「自分なんて無価値なんだ」
「生きている意味なんかない」
「消えてなくなってしまえばいいんだ」
「価値がない人間なんだ」
。。。
と、なって今度は自分の手首を切ってみる。
本物のナイフで傷つけるようになります。
本当に涙がでるほど、悲しいです。
どうして、そんなに苦しまなきゃいけないんだ
と思います。
くだらなくて、笑えるくらいしょうもない
妄想なのに、現実に死ぬ人もいます。
「ルール」で自分を縛り上げて、身動きが
とれなくなって、自分を傷つける、
この連鎖を断ち切りたいと思います。
「こうでなければならない」というルール、
これが全ての問題のスタートなのです。
”こうでなければならない”というルールを捨てる
「完璧にやる!」
「完璧にやりたい!」
という考え方には何の問題もなく、強い意志を
持てば、人生が確実によくなる考えです。
「やる!やりたい!目指す!」ならいいのです。
それが、
「完璧で、“なければならない”」
となると、自分を傷つけるナイフになります。
「でなければならない」ものなど
世の中には一つもないのですね。
私たちは、他にもたくさんのルールで
自分を縛っています。
例として、
・いつも強くなければならない
・いつも真面目でなければならない
・いつも誠実でいなければならない
・迷惑をかけてはならない
など、私たちはたくさんのルールで
自分を縛っています。
そして、これが、自分を嫌いになり、感謝の
気持ちを忘れ、全てが嫌になり、無気力になる
原因なのです。
「やる!目指す!やりぬく!」ということなら
いいんです。
「こうでなければならない」が問題なのです。
本当にバカらしい妄想です。
世の中の多くの人は、少なくともこのような
泥沼にはまったことがあると思います。
普通のことです。
だから、もし、今苦しくても
ルールから自分を解放して
「こうでなければならない」という幻想を
捨ててネガティブサイクルから抜け出せばいいのです。
そうしたら、自分を責めることも、他人を
責めることも、傷つけることもなくなります。
自分も他人も許せます。
いつも穏やかで楽しそうで、一緒にいると
ほんわかしてくるような人がいますよね。
そういう人になれると思います。
ところで、ルールはなぜ、生まれたのか?起源は?
それは、「親の愛情を獲得するため」であった
ことが一番だそうです。
赤ちゃんだったとき、あなたは無条件で
誰からも愛されていました。
泣き声だけあげれば、全部やってもらえました。
しかし、成長するにつれて、無条件で
いつでも愛される環境ではなくなります。
そこで、あなたは、保護者である親に喜ばれる
ように、自分にルールを課すようになります。
そのルールに従っていれば、親の愛情を獲得
できる、「親の愛情獲得作戦」です。
・いつも笑顔でいなければならない
・いつもいい子でいなければならない
・いつも優しくあらなければならない
愛情を獲得するのはいい子である
だけではありません。
やんちゃでいると、親が心配してくれるから
・いつもやんちゃでなければならない
・いつも出来が悪くなければならない
・いつも悲しそうにしていなければならない
色々なルールを私たちは作り出し
親の愛情を獲得しようとします。
そして
私たちは子供のときのルールのまま
大人になっても生きている
ということです。
無意識のまま、子供のときのルールで
大人になった今も、生きているのです。
大人になってから、自分で判断をして
作り出したルールではない、ということです。
こうなると子供のままの考え方で、親を恨みだす
人がいるので、おやめなさい、と優しく言います。
間違っても親のせいではありませんよね~
その理由ですが、
1.そのルール自体あなたの妄想の可能性もある
実は、勝手に親が望んでいると自分が思っただけで
本当は親は全然望んでいない、
ということもあります。
今、あなたが持っているルールを少し考えてみて欲しいのですが、
「本当に親はそんなことを望んでいた?本当に?」
と考えてみると、そうでもないものもあると思います。
間違いなく親もそう思っていた、と思っても、
問題の本質はそこにはないので、安心してください。
親ではなく、次のことに問題があります。
2.問題はルールに反する人格がいるころ
ルールそのものが問題ではない、というと混乱するかもしれません。
例えば、真面目でなければならないというルールに問題が起るのは、
真面目ではない別の人格が、自分自身の中にいるからなのです。
例えば、
・俺は成長して上を目指さなくてはならない
・俺はいつも真面目で完璧にしなくてはならない
というルールを持っている人がいるとします。
その二者のどちらがこの口喧嘩に勝つかと
いえば、人生のルールである、完璧な方です。
そして、隠れた人格は、常に出たいと思っていて
何かのタイミングでそれが出てきます。
ルールのせいで、抑圧されているもう一人の
人格がいて苦しんでいます。
なので、「こうでなければならない」を辞めて
もうひとりの人格を解放してあげてください。
長くなってしまいましたが、このへんで。
お読み下さり、ありがとうございます。
感謝をこめて☆
シータヒーリング
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