阪神・淡路大震災

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6434人が亡くなった1995年の阪神・淡路大震災から24年がたちました。

時間や位置情報は記憶の中で曖昧になっていきますが映像は鮮明に残るようです。

Googleで検索したところ出てきた画像の中で私の中に強く残っていたのは下のものです。

当日は女房と伊豆へ旅行していて、ラジオから刻々と死者や負傷者数が増加していくのを知り、ただ事では無いことを感じました。

翌日も三菱銀行(当時)の支店長とゴルフの約束があり、食事の時に「不謹慎だが、震災復興がバブル崩壊で喘ぐ国内景気の下支えをする」みたいな呑気なことを話したことを覚えています。

今のようにスマホをみて、Twitter、FacebookなどのSNSでリアルタイムで現場の様子を知ることが出来る時代ではありませんでした。

 

二月に青年会議所の仲間とボランティア(義援物資の仕分けと公園での配給)として現地に入りました。

酷寒でした。

大阪から電車で移動し、集合場所の西宮(三宮だったかも)商工会議所に向かいました。

阪神電鉄の車窓からの震災は突然でした。

いきなり線を引いたように建物が倒壊していました。

活断層型と類別される地震の特異性をまざまざと知らされました。

高速道路の橋脚の座屈は随分と報道されていましたが現場で見ると「なんでこんなに大きなものが?」と生理的な悪寒が出ました。

長田地区の火災のあとは何にもありませんでした。

営々と築かれた構造物も生活も。

 

そんな中、活気を取り戻しつつある地元の方々の強い気持ちや全国から集まったボランティアや企業の力も肌身で感じられました。


「物見遊山」と思われても現場に身をおき、少しでも役に立ちたいの言う気持ちで臨んだことは、その後の自身の考え方に少なからずの良い影響をもたらしたように感じています。

 

改めて亡くなられた皆様のご冥福とご家族の皆様のお見舞いを申し上げます。