戦後60年-20歳で戦死した眞市の記録 -2ページ目

短編作文『その21』

9-13


正月を迎えて『その1』



昭和17年1月元旦の正月を迎えた。


私は18才の美少年になったつもりだが

「18か、まだ18才、、まてよ19才・・・」

それ程私は自分の気を大人げに覚えていたのだ。


私はお年玉にと愛する一人の妹へマスコットにと花嫁人形を送ってやった。


母へは勿論貯めた給料の大部分を為替に組んだ。


「お母さんおかわりありませんか。

姉さんも喜代子も元気ですか。


眞市は18才の年を元気良く過ごしました。

お母さんはおいくつになったのでしたか?


お母さん、今日は少しばかりのお金をお送りします。

お母さんのお年玉にして下さい。


これは眞市が故郷を出てから今日迄働いて戴いた給料の大部分です。


少しですが眞市の働いて初めて得た、尊いお金ですから、

お父さんのお位牌にもお見せして共に喜んでください・・・」以下略。

                                              続く



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眞市のスクラップ


短編作文『その20』

9-12


誘惑?『その3』 



「及川喫めよ」


「いい気持だ」


「又タバコか、やだようだ・・・」


「あははは、まだ子供だなあ」



子供・・私は頭にビンーと苦痛を覚えた。

よく言われる言葉ではあるが、私はいつ迄も子供だろうか。


部屋の中では、いや徴用者の中でも一番若い年ではあるが?


私はむっとなって

「ああ子供だからとても喫めないや」


無意識な返事とは思いながらも題じた。


同室7人の中5人は皆、おいしそうに煙を吸う、私も一口ぐらい一本ぐらい、

悪い心に誘われるのをじっとこらえて部屋の隅で手紙を書き始めた。


母さんは何をしているだろうか。


もう床の中へ入った時分だが、時計を見上げると10時、

夏であったら外へ出て月でも眺めている私だったが、正月をひかえての寒さ、冷たさだった。


                                                      終わり



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眞市のスクラップ

短編作文『その19』

9-11


誘惑?『その2』 



しかし室長という重い責任を背負っていたのである。


その日の朝の点呼でも部屋の一人でも欠席すると佐々木寮長からビンタをくらった。

悲しかった、辛かった、しまいには寒さに負けて押入の中へ藁布団と引き寝込むものも出て来てくる。


私は寮長に可愛がられた。

色々と心配もしてくれた。


年のゆかぬ私と思ってくれたのであろうか。


私はここ迄書き続けてくると反省し文内があまりにも悲しみに襲われてくるのを覚えるが、

辛いばかりは続かない。


楽しい時、嬉しい時、愉快な時、面白い時など故郷を忘れ親を忘れて園楽の日を過ごしたことも随分ある。


世の中という荒波がここで初めて咲いて来たようだった。

                                              続く



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眞市のスクラップ

短編作文『その18』

9-10


誘惑?『その1』 ×月×日



「及川、伊勢崎町へ行かないか、今いい映画をやってるぞ・・・」

と同室のA君が声をかける。


「そうか、今日はよい天気だ又休みときたもんなあ・・」


「B君はどうした」


「あいつはもう出発よ、早いからなあ」


「こまったやつだ、朝の勤務奉仕があるのに・・・」


私は同室の中で一番年若の17才であった。

                                       続く



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短編作文『その17』

9-9


横浜へ来て『その4』



寄宿舎から工場迄はすぐだったから、

私は何の苦痛も感じなかったが、故郷の空を想うといと暗い心地がした。


北海道の11月といえばもう荒涼たる冬景色である。


枯葉風に舞い冷たい北風の下を毛布の外交をして歩くかわいそうな母、

遠い職場へ一人淋しそうに足を運び通っている姉の寒そうな姿

、愛くるしい目をして少しでも家の為にと勤めに出る妹の健気な姿を思うと、

すごにでも温かい気候の横浜へつれて一緒に暮らしたい気がした。


今思うと寄宿舎でなんべん子供心に泣いたことであろう。

母の手紙がくる度に何やら淋しそうにふと涙の湧き出るのを覚えた。


私は黙って立って行って寄宿舎の裏へ出た。

目の前には立ち塞がるように名の知れぬ山がそびえている。


私はその嶺にただよう雲をじっと見つめた。

雲の色が何となく心に沁みる。

                                                 終わり



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眞市のスクラップ


短編作文『その16』

9-8


横浜へ来て『その3』



「お母さん、お変わりありませんか。

眞市も相変わらず元気一杯希望に満ちて、勇往邁進軍務に励んでおります、ご安心下さい。


立派な工場で学問を勉強したり、

事務の仕方を教えてもらったりして毎日楽しい明朗な日を過ごしています。


まるで工場へ働きに来たのでなく、学校へ勉強に来たようです。


今日は×月の給料で××内×銭を戴きました。

工場で教えてもらって、その上給料を戴くなんてあべこべのような気がします。

だから大切にして無駄には使わないつもりです。


姉さん、喜代子は毎日元気よく出勤していますか。

だんだん暖かくなりましたが気候が不順ですから身体を大切にして下さい。」



私はこんな手紙を母に送った。


そして手紙には書かなかったが

(もう少しお金がたまったら・・・)

と送金する日の母の顔を胸に思い浮かべて胸をふくらませた。


三ヶ月たった時雨が毎日じめじめと降り続く。

                                                   続く



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短編作文『その15』

9-7


横浜へ来て『その2』



「凄いなあ」


「本当に、俺は生まれて初めて飛行機にさわってみたよ」


「あまり大きい声で言うと笑われるぞ ハハハハハ」


「これが重爆か」


「向こうに見えるのは・・・」


「知っちゃいないなあ ハハハ」


「俺にもわからんよ」


「あれはね、エヘーン、ノースカンカメリカ?」


「つまらないこと言うない、練習機だよ」


「なんだ、誰だノスカンだなんて、ハハハハハ」



お互いになんべんも何度も銀翼の下をくぐり歩いたりまたがったり、無邪気な子供達の悪戯に見えた。


私達は引率者につれられて東京というものを素通りして東京急行の海軍航空技術廠支廠へ来た。

大きな工場ではあったが、今建設最中で、バラックが主なのだ。


今日はへ本廠来て見学をしているのである。


見学というより悪戯といった方が適当といえよう、田舎者の私達が初めて見る船、軍艦、

初めて眺める太平洋の水平線この歓喜に満たされている。


私達の寝る所は寄宿舎だった。

一部屋、十二畳間に七人の南向きでとても日当たりのよい所ではあったが

うるさく湘線の通の横だったので少しがっかりした。


窓下を見ると泥蟹が二、三匹で日向ぼっこをしているなんと幸福な私であろうか。


徴用とはいい、何一つ不自由なく過ごせる楽しい日、立派な工場で立派な上官たちに教えてもらいながら、

しかも月末には若干の給料が戴けた。


(勿体ないことだな)私はそう思った、そしてその給料袋をしっかりとトランクの底へしまった。

                                                         続く



九月七日の2 九月七日の3


眞市のスクラップ

短編作文『その14』

9-6


横浜へ来て『その1』  7月×日



風が吹きつのって土砂を巻き上げていた。


黄塵萬丈というのは少し大袈裟だが、広い飛行場には濛々と土ぼこりが舞い上がって、

その涯も見えないほどである。


太陽は黄塵の中にどんよりと浮かびながら容赦なく地上を照りつけて、いやが上にも土を乾かし、

ほこりを製造する。


「ざーっとひと雨こないものかなあ、これじゃほこりが溜まって仕様がない・・・」

誰かが呟いた。


「まったくだ、しかし随分天気が続くな・・・」


分解した発動機の中へ土ぼこりが入らぬよう、格納庫の窓も扉もぴったり閉めてある。


ここは横須賀と横浜の中間にある某飛行場にある格納庫である話をしている連中は勿論、私達である。

生まれて初めて大海を見、飛行場を見た私達は驚異の目をみはるばかりだった。

                                                     続く



9-6-2

短編作文『その13』

9-5


故郷を後に!『その8』



田舎者の私達も流石に夜になるとこう言い出した。

すましていた、私達の同志も、いつしか親しい友となり、仲のよい園楽を見せ始め、


「おい退屈じゃ、仕様がないね」


「歌でも唄えよ」


「君、ハーモニカを持っているだろう」


「だめだ、とっても音調が悪くて」


とうとう汽車の中で演芸会がやることになってしまった。

私も得意になって歌っている「思い出の夕」を想いだし浮かべながら



あ~あの顔であの声で


  手柄たのむと妻や子が


ちぎれる程に振った旗


  遠い雲間に又、浮かぶ・・・



車内の中央に立って隙窓から気持の良い夏の夜月が微笑んで私の声をきいているようだ。


その月も山の為、林の為出ては見え、かくれては見え、

なんだか私の歌っている唄と歩調を合わしているようだ。


「すごいアンコール」


「及川もう一度」


「やれよ、なんだなんだ」


歌い終わってほっと一息つくまもなくもう一度アンコールの絶叫を受け快活に私はすきなまま歌った。


                                                           終わり



9-5-2


眞市のスクラップ

短編作文『その12』

9-4


故郷を後に!『その7』



さて文が少し外へとんだようだが、夏の汽車は苦しいが春ほどあわだだしくないし、

秋ほどさびしくないので私は夏の汽車は好きだ。


殊に汽車が高原をすぎるころかがやく草樹の間に桔梗の群を見、

白百合の香りにつつまれるなど夏でなくては経験されぬ。

汽車のうれしさである。


その汽車の中も夜になると外は急に暗黒のマドロス街のように、

明るい気持もすがすがしい心も又悲しみに襲われてくるよいうである。



「おい君、汽車も二日つづくとあきるな」


「まったくだ、頭ががんがんするよ」


「早く下りてぐっすり床の中へでもか・・」


「外は暗いしつまらないな、やはり書一の汽車にかぎるね・・」

                                         続く



9-4-2


眞市のスクラップ