安田純平さん解放とナショナリズムと日本人-新自由主義と自己責任論の行方【ヤンの字雷】 | 進撃の庶民 ・反新自由主義・反グローバリズム

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本日は、ヤン様の寄稿コラムです!

 

私が一つの言葉を書く間に千の言葉を書く男・ヤン様が、私が書きたいこと以上に書かれた、素晴らしいコラムをお寄せくださいました!

 

新自由主義の蔓延と共同体の意識の解体とを絡めて自己責任論について書かれた今回のコラムは、日本国内で唯一なのではないでしょうか?

 

また、「自己責任」という言葉の本来の意味についても、今回のコラムで学べます。(私も知りませんでした)

 

皆様も今回のヤン様の論考を通して、自己責任論についてや、新自由主義に毒された日本の現状について、色々と考えて頂ければと思います。


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安田純平さん解放とナショナリズムと日本人-新自由主義と自己責任論の行方【ヤンの字雷】

安田純平さんの解放を喜べない人々

 ネットでは安田純平さんの解放に伴い、自己責任(※1)論やバッシングが蔓延しているようです。通常、同じ共同体である日本の日本人が助かったということは喜ぶべきことのはずです。

 一方で例えば中国のウイグル自治区弾圧、チベット弾圧などに関して「マスメディアが報じない!」という論調がありますが、安田純平さんをバッシングする人たちは今後一切、中国の弾圧などをマスメディアが報じない!という批判をやめねばなりません。なぜか?

 だって取材に誰が行くのさ?行って何かあったら「自己責任!」と叩かれ、行かなかったら「マスメディアが報じない!」と叩かれるわけです。

※1 自己責任という言葉は法律用語でして、多くの人が誤用しているようです。P.Sにて後述します。

 

 安田純平さんめぐり激論 ネット「自己責任」VSジャーナリストから続々「擁護」(ライブドアニュース)でも、同じようなことをおっしゃっている方がいるようです。

また、中国ルポライターの安田峰俊さんは、26日のツイートで、日本で自己責任論を唱える人たちについて、中国のウイグル人弾圧問題で「メディアが真実を報じない!」と訴える人たちと似ているとして、「彼らは誰がウイグルに取材に行くべきと思ってるのだろう」と皮肉った。これに対し、「日本にいてもわかることをまとめればいいじゃないですか!」とのリプライを複数受け、理解に苦しんだとも明かした。(一部抜粋)

 どうもネットでは「情報や真実はタダで手に入る」と勘違いしている人たちがたくさんいるようですが、世界のあちこちで内戦や飢餓は絶えませんし、当然ながらそんな場所からネットを通じて情報が入るなんてこともあまりない、と言えましょう。そもそも、情報とは殆どの場合、流すものによって加工されているものですから、やはり現地に行かないと生の情報というのは手に入らないわけです。

 ネットに存在する情報も、過去に誰かが取材し、まとめ、報じたものであるわけですが、その成果物を貪りながら、成果物を得ようと危険を犯したジャーナリストや人物をバッシングするというのは、私には卑怯にしか見えません。

 

 またジャーナリズムは反権力的であることも求められます。なぜか?権力とメディアが結びついたら、それは「プロパガンダ」ということになるわけですから当然です。

 小林よしのりさんが、今回の安田純平さんの解放について大変面白いコラムを書いておられました。

 

安田純平氏をバッシングするヘタレ虫ども(BLOGOS 小林よしのりさん)

安田氏は、身代金要求を無視せよというメッセージを出そうとしたことが見つかり、虐待され始めたらしい。
ちゃんと覚悟は持っていた。
武士のような人格ではないか。

それに比べてエセ保守・ネトウヨどもの情けないこと、
「恐い恐い!恐いところに行くな!
恐いところに行く奴は、俺さまの臆病さを刺激して、コンプレックスを感じるから嫌いなんだ!
勇気のある奴は潰せ!
権力の言いなりにならない奴は嫌いだ!
俺さまは権力に従順にして、むしろ権力の側にピッタリ寄り添って、えらそうな顔をしていたいヘタレ虫なんだ!
安倍政権に迷惑をかける奴は助けるな!」
(一部抜粋 太文字は原文ママ)

 とどのつまり、今回の安田純平さんへのバッシングというのは「情報があることが普通で、ネットで真実!」などと成果物(情報)の上にあぐらをかいた人たちが、情報を取りに行く仕事に対して上から目線で「リスク管理ができてない!自己責任!捕まったらプロじゃない!」と叩いている、という構図なのではないか?と感じます。

 そのくせ報じなかったら報じなかったで「メディアの陰謀!報じない権利!反日メディア!」などと言いだすのですから始末に負えません。

 

 挙げ句、「安田純平は捕まりに行っている!」などという陰謀論まで出始めるのですから、もはや呆れる他ありません。

 要するに・・・小林よしのりさんが書いているように、「安倍政権に逆らったから批判している」だけなのでしょう。そこにはナショナリズムも、国民意識も、共同体意識も、日本人としての連帯感も何もありません。ただ空虚に「勝ち組側で正義面して弱いやつを叩きたい」という欲望があるだけなのです。

安倍政権で外交的に唯一の手柄かもしれない

 安田純平さん解放へ 身代金とトルコとカタールとの“密約”(AERA)によると政府が解放に向けて動いていたのは事実だそうで、解放が確認されたときに菅官房長官もホッとした表情だったとの情報もあるようです。

 この件に関しては安倍政権は大変評価して良いと思います。国家としては安田純平さんの振る舞いがどうであれ、救出する責務がありますし、国家として当たり前の行動と言ってしまえばそれはそうなのですが、その当たり前がちゃんと実行されたことは評価するべきでしょう。

 

 しかし不思議なのは、安田純平さんの解放は安倍政権の功績と言ってもよいのに、なぜ安田純平さんを叩くのか?という安倍政権支持者たちの謎行動です。おそらく「安倍政権がせっかく助けてやったのに、その物言いはなにごとか!」ということなんでしょう。

ナショナリズムを失くしつつある、日本の風景は荒涼としている

 私自身ははっきり申し上げると、安田純平さんは好きではありませんし、ことさら擁護するつもりもありません。しかし1人の日本人が武装勢力から解放されたというのは、何をおいても喜ぶべきことであると思っております。

 

 しかし解放されてからというもの、ネット上では自己責任論の大合唱であり、バッシングにまで発展しているようです。自己責任論とは端的にいえば「国家の解体」に他なりません。国家という共同体を必要としない、何があっても自己責任!というのが自己責任論の本質です。

 

 この自己責任論が蔓延ったのは、小泉政権時代であったと記憶しております。つまり構造改革、規制緩和、小さな政府という新自由主義・グローバリズムという”改革”の中で叫ばれたのが、自己責任論というわけです。

 これはすなわち、国家の責任を減少させて、何があっても自己責任と個人に転嫁する運動に他ならなかったのです。

 

 20年以上に及ぶ構造改革、規制緩和、小さな政府といった環境の中で、もはや日本人は日本国家に暖かみやぬくもりを感じることはなくなったようです。ナショナリズムの喪失です。

 安田純平さん解放ー自己責任論よりも、今回の経験・ノウハウをいかに活かすかが重要(BLOGOS 阪口直人さん)によるとこうです。

 自分自身の経験と照らし合わせると、私は国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の活動中に殺害された中田厚仁さんの同僚として、日本人が紛争地域での活動中、命の危機に瀕した時の政府や日本社会の対応を肌身に感じる経験をした。

 紛争4派の停戦合意が結ばれ、国連が史上初めて一国の暫定的な統治をする歴史的な試みだったが、日々治安は悪化し、実質は内戦状態での活動だった。私たちは村に住み込み、憲法制定議会選挙を実施するための郡レベルの責任者として活動したが、常に命の危険を感じながらの活動だった。

 当時、私たちへの日本社会の対応は実に温かいものだった。何よりも嬉しく思ったことは、豊かな日本という国に生まれ育って、紛争や貧困に苦しむ人々を座視していてもいいのかという新しい価値観に基づき草の根で行動する多くの人々の行動を生み出すきっかけになったことだ。(一部引用 太文字筆者編集)

 このカンボジアでの活動というのは1992年~1994年あたりのことかと思います。この活動中に同僚の中田厚仁さんが殺害されたりなど、非常に危険な活動であったようです。現在であれば、きっとこれも「自己責任!」という声がありとあらゆるところから上がるんじゃないでしょうか?

 

 ナショナリズム、国民意識、共同体意識のかわりに日本に台頭してきたのはなにか?権力への媚びへつらいと、常に勝ち組側で正義面をしたい欲望という、荒んだものです。まるで荒涼とした大地に、ぽつんと個人が佇むがごとくの風景です。

 これは新自由主義やグローバリズムの必然的帰結であり、20年以上前から進む日本の経路なのです。安田純平さんへの自己責任論やバッシングは特に自称愛国者やら自称保守やらがしておりますけれども、国家とは「その構成員たる国民も含む」のであり、愛国という言葉には当然ながら「その国家の国民」も含まれるはずです。

 いわんや、愛国を名乗るものが助けられた一国民をバッシングしているのですから、そのいびつさに驚くやら呆れるやらでございます。

 

 安田純平さんは何か、犯罪でも犯したのか?という叩きようでございますからね。叩くなら安田純平さんを拘束した、シリアの武装勢力の方だと思うのですが。

 「被害にあったお前が悪い!自己責任だ!」という論法は、「いじめられている子供にも責任がある!」という論法と非常によく似ております。

 

 日本(主に文化、伝統、和食です、私の場合)が好きなゆえに、グローバリズムや新自由主義が許せず、それを進める現政権を批判すると、権力に媚びへつらう愚者から「反日!左翼!」と罵声が飛んでくるわけです。

 小林よしのりさんふうに最後は締めたいと思います。「権力に対してまっとうな批判も展開できない、ヘタレ虫どもに言われたくない!」と。

P.S

 小林よしのりさんって、結構ぶっ飛んだオモロイおっさんやなぁ・・・と最近思います(大阪人的にかなり褒め言葉です)。まあ思想的に合うかどうか?はまた別なんですけれども。

 

 ちなみに自己責任の定義について。実はこれ、法律用語だったりしまして「私的自治の原則」を裏側から見たものなんですね。簡単に言うと「自分のやったことしか、責任を負わない(人が何かしでかしても、それは自分の責任ではないという原則)」という話なんですが、現在では誤用されて「自分のやったことは、全部自分で責任を負わないといけない」という意味になっております。

 

 つまり・・・安田純平さんはシリアの武装勢力に「誘拐・拘束」されたわけですから、被害者であり、ぶっちゃけて言うと本来の自己責任の定義で言えば「安田純平さんに責任はない(加害者の武装勢力に責任や罪がある)」となるんです。

 要するに今回、「安田純平さんの自己責任!」とか言っている人たちは、日本語を間違えて使っているわけです。

 日本という国は「誘拐・拘束された被害者」を「自己責任!謝罪しろ!」と日本語を誤用し、叩きまくるという色んな意味で「非常識」な国家に成り下がりつつあるわけですね。

 

 まあ堕ちるところまで堕ちた、という感じしかしませんけれども・・・・そう思うとさらに堕ちるのが世の常、人の常。さて、どこまで堕ちるのやら。

(了)


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