本日は、ヤン様の寄稿コラムです!
ここ20年、新自由主義に毒された日本が「効率化」されていき、どのような事になってしまったのかを、ヤン様が料理に例えられて、これまた非常にわかりやすい説明をされております。
安倍を見てもわかるように、新自由主義者というものは、金融危機などの人災、台風、豪雨、地震などの天災などに対する危機意識が非常に希薄で、ゆえに、それらの危機が起きた結果の被害の責任を取ろうともせず、すべての災難の被害は私達庶民が被ることになります。
ヤン様コラムを通じて、日本でこれから起きるであろうことを想像力を駆使して考え、皆様各々が出来る範囲で出来ることをしていただければと思います。
それではヤン様コラムをどうぞ!
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効率化すると失っていくというパラドクス-料理で社会を考えてみよう【ヤンの字雷】
料理を効率化すると平坦でのっぺりする
先日の台風、北海道地震と日本全国を災害が襲っております。私事で恐縮ですが、我が大阪は今年に入って大阪地震、西日本豪雨、そして今回の台風と頻繁に災害が発生しています。
まさに「災害大国日本」が実感させられる平成最後の年であります。あまり普段はオカルティックなことは言わないのですが、平成最後の年がこのような年であるのは、日本没落への警鈴なのではないか?という思いがします。
この日本の歩んだ平成という時代はまさに「改革!!」のオンパレードでした。その結果として経済大国日本はどんどん平たい国家になっているような気がします。まさに「平(に)成(る)」を地で行った時代だったのではないか?
ではどんどん平たく、のっぺりとしてきたのはなぜか?私には「改革!」というものがすべて効率化を求めたものであったから、と解釈しております。効率化は行き過ぎればいろいろなものを失っていく、ということを本日は料理で解説してみたいと思います。
料理の目的とはなにか?というと食材を美味しく食べられるように加工することです。炒めたり、蒸したり、煮たり、焼いたりして調味料を加え、美味しく食べることが目的です。
つまり料理ってそもそも非効率的な存在なんですね。生存と活動のみを目的とするのならば、サプリメントやプロテインと市販の炭水化物をかじってりゃ多分足ります(笑)
文化とはそもそも効率性を求めるものではありませんから、文化の一部に属する料理だって効率性を求めない存在なわけです。
さて、出汁は日本料理に必要不可欠なものです。味噌汁にも煮物にも必要です。
出汁を鰹節や昆布からいちいち取るのは割と面倒くさいですから、多くの家庭では顆粒だし、めんつゆなどを使用されているでしょう。便利ですから私も使用することがあります。
でもやっぱり、しっかり引いた出汁には味の面で劣るというのは否定できません。とくに鰹出汁に風味が出ないように思います。
効率的で便利ですから批判をするのではないですが、効率的で便利であるがゆえに風味を失ったというわけです。
個人的な感想で申し上げると「平坦でのっぺりしている」ように感じます。
コンビニ弁当はどうでしょう?大量生産され、値段も安く、効率的にカロリーを摂取できます。しかし私には子供の頃に食べた母のお弁当のほうが美味しいように感じます。
弁当に煮物が入っていてご飯に煮物の汁がしみていたりと、ごくごく普通の家庭のお弁当でしたけれども、コンビニ弁当よりそちらのほうが好きです。
コンビニ弁当はバリエーションが少ないこともあり、食生活も「平坦でのっぺりしてしまう」ように思えます。
政治と経済はどんどん効率化された。その結果は?
二大政党制という「効率的な政治」を志して小選挙区制を導入した政治改革。
「民営化すれば効率化するはずだ」となされた郵政改革。
自由貿易こそが「効率的なのだ」となされた非関税障壁の自主的撤廃。
(金銭)効率が悪いから!と制定されたプライマリーバランス目標。
欧州などより支出が多い!効率的ではない!とされて減らされた公共事業費。
人手不足という非効率な状態を解消するための移民拡大。
平成に行われた改革や政治はそのほとんど、いや全てが「効率化するのだ!効率化したら良くなるのだ!」というドグマのもとに導入されてきました。
料理は効率化すればするほど失われ、のっぺりとした、平坦なものになっていきますけれども、これはじつは社会でも一緒であったと言えます。
その証拠にほら・・・「”失われた”20年」と言うではありませんか(!!)
失われたのは経済成長だけでなく、共同体や多様性や個性や文化も含まれているのではないか?
政治家が小粒化したのはまさに、効率化によって多様性や個性を許容できなくなった日本の姿そのものなのではないでしょうか?
あまり人の容姿をどうこういう趣味はないのですが、安倍総理の顔を見てみると「のっぺり、平坦」という印象がしますけれども、その安倍総理の長期政権化は日本の平成の社会の姿そのものなのかもしれない、とすら思えてしまいます。
私はこの「効率化されのっぺり、平坦に失われつつある時代」を日本のコンビニ化とでも表現したいと思います。
※別にコンビニは悪くないのですけどね。
安全保障や文化、学問は社会の土台
いくら効率化したいからと言っても「軍隊や自衛隊は非効率だからなくせ!」というような人はいないでしょう。新自由主義者ですら流石にそれは主張しないようです。
このことから理解できるのは、安全保障は効率化では語れないという事実です。震災大国日本において、震度4程度で倒壊する住宅に住みたいと思う人はまずいないでしょ?
おそらく震度4程度で倒壊するような住宅は、購入価格も安いはずですけれども、「命あっての物種」ですからおそらく誰も購入しないでしょう。
安全保障は金銭や効率では語れないのです。
インフラも同様でしょうし、学問や文化も同様かと思います。どれも効率や金銭のみで語ることのできない、必要な無駄であり、社会の土台とは得てしてそういうものでしょう。
だからこそ平成というひたすらに効率化を求めた「のっぺりとした平坦な日本のコンビニ化時代」において、安全保障は軽視され、公共事業費は削られ、大学はビジネススクールの如く変化してきたわけです。
つまり社会の土台をひたすら壊しながら、効率化に邁進してきたというわけです。
料理で言えば「効率化!」とか言いながら、台所を壊しているが如き所業であり、端的に言って「狂ってる」としか申し上げられません。
このままひたすら効率化を続ければどうなるのか?社会の土台たるものがどんどん崩れ落ちる中で、上部構造が無事などという魔法はありえない。とすれば効率化の妄執のもとにのっぺりと、平坦に縮小し続けるほかないでしょう。
私はそののっぺりと、平坦な「なにか」はもはや「日本ではない」と思います。
毎日の食事でできるだけ美味しいものを食べたいように、人間としての根源的な欲求によって「日本であること」を望むのだとすれば、皆様にもぜひとも政治・経済版の「海原雄山」になっていただきたく思います。
(了)
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