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本日は、holyfirework様の寄稿コラムです!

 

今後、毎週金曜日はholyfirework様が受け持ってくださることとなりました!

本日は初心者の方向けにアバ・ラーナーの機能的財政論の解説をしてくださいます!

また経済において非常に大事な「不確実性」という点にも言及されておられて、非常に秀逸かつわかりやすいと思います。

ぜひとも経済初心者の方は一緒にholyfirework様のコラムで学んでいきましょう!



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[初心者向け 進撃の入口 vol.1] 機能的財政論について~holyfirework様

今日からは、基本的に経済学の初心者向けに、普段なかなか聞くことがなく、なかなか理解出来ないであろう経済の解説をしていきたいと思います。

基本的にここでは、初心者向けに簡易で簡素に基本事項を押さえるという方針でいきます。

何が簡易で簡素かと言うと、数学的な要素を排除すると言うことです。このコラムでは、基本的に方程式や計算式、数学的な記号、関数のグラフなど、全て排除します。

専門的な事項を学びたい方、既に専門家だという方は、望月夜さんのところにいって下さい。

あの人は本当に専門家なので、どんなことでも真摯に応えてくれます。

 

それでは始めましょうか。

今日は第一回、「機能的財政論」についてです。

 

経済主体は、家計と企業と政府の3つしかない。日本は、家計と企業は金持ちであるが、政府が1000兆円にも及ぶ借金を抱えていることは事実である。

 

この事実を捉えて、プライマリーバランスをはやく正常化しないと「国家破産」につながりかねないという議論がある。だから増え続ける社会保障費を賄うためにも、消費増税が欠かせないという。また、一人当たりの借金が800万円にも及ぶだとか、子孫にツケを回すな、といった感情に訴える手法もある。いわゆる健全化財政論と言われ、現在の日本政府および日本国民の多数が知っている理論であります。

 

しかし、こうした主張を一笑に付す経済理論がある。アバ・ラーナーの機能的財政論という理論である。

 

この機能的財政論を踏まえて、中野剛志氏が、次のような説得力のある文章を書いている。私は全面的に賛成である。

 

日本の経済政策を論ずるうえで、欠かせない視点だと思うので、読者の皆様に紹介する。

 

 引用:

平成14年4月、財務省は、日本国債を格下げした格付け会社3社に対して書簡を発出し、その中で「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか」と抗議した。

財務省は、日本政府の財政破綻はあり得ないと言っていたのだ。もっとも、この認識は正しい。

日本の国債はすべて円建てであり、その円の発行権は日本政府にあるのだから、日本政府が返済不履行に陥ることはあり得ない。歴史上も、自国通貨建ての国債が返済不履行となった例は、(政治的な理由によるものを除けば)ない。

 

日本は財政危機にはないのであり、それゆえ消費増税は必要がない。


消費増税は不要だと言うと、決まって「では、社会保障の財源はどうするのだ」という反論が返って来る。しかし、財政破綻があり得ない国が財源に悩む必要などない。

そもそも、税というものを、政府支出の「財源」と考える発想自体が間違いなのだ。

課税とは、政府収入を増やすための手段ではなく、国民経済を適切に運営するための手段なのである。この考え方を「機能的財政論」と言う。


機能的財政論によれば、財政赤字の善し悪しは、それが国民経済にもたらした「結果」で判断すべきとされる。

具体的には、失業や物価上昇率、あるいは社会格差などが判断指標となろう。


例えば、完全雇用が達成され、需要超過で高インフレであるなら、財政支出の削減や課税によって、加熱した需要を冷却する必要がある。逆に、失業率が高く、デフレであるならば、財政支出の拡大や減税によって消費や投資を刺激すべきである。しかも、完全雇用やデフレ脱却を達成するまで、財政赤字を拡大し続けてもよいし、そうすべきなのだ。


この「機能的財政論」によれば、長期のデフレに苦しむ現在の日本は、財政赤字を拡大すべき状況なのであって、消費増税どころか消費減税が必要だということになる。まして、格差の拡大が懸念される中で、逆進性があって低所得者層に不利に働く消費税を増税してよいはずがない。


国債の増発による金利の高騰を不安視する声が後を絶たないが、デフレ下での金利高騰はまずあり得ない。しかも、中央銀行が国債を購入すれば金利を低く抑えることは容易だ。実際、日本銀行は、現在、量的緩和によってそれを実行しているのである。


我が国の政治家・官僚・経済学者らは「機能的財政論」という税財政政策の基本的な理解欠いたまま、消費税の是非を巡って大騒ぎを繰り返してきた。そんなことだから、二十年も虚しく失われたのだ。(引用おわり)

今の安倍政権に求められる政策は、金融緩和はこれでいいとして、後は、積極財政による需要の創造と、財政の所得再配分機能を生かし、新自由主義的政策を是正することにあるのではないでしょうか。消費税増税や労働法制の規制緩和は、これに逆行しています。

 

中国をはじめとする新興国で、債務問題が問題となっているのは、多くはドル建てで起債しているからで、自国通貨が暴落すると、借金の重みが一気に増す。資源価格の下落で、新興国の経済は、どこも青息吐息であるが、中国をはじめロシアもブラジルも、借金の質が、日本とは根本的に違う。6月にアメリカ連邦準備銀行が、利上げに踏み込むと、資金がアメリカに還流するに違いない。「1ドルは1ドルに過ぎない」といえるアメリカの経済覇権は、軍事覇権以上に、強力である。

 

それでは、アバ・ラーナーの機能的財政論を、中野剛志氏の『国力とは何か』に準拠して、まとめておこう。

 

国債は、国内で消化される(自国民が購入する)「内国債」である場合には、その金利は、国民の負担とはならない。なぜなら、国債の償還金の支払い先は、国民だからだ。

 

例えば、政府が、納税者たる自国民から徴収した税金によって債務を返済するとしても、その税金は国債保有者たる自国民に支払われる。マネーが国民の間で移転しているだけであって、国の外には流出しないのである。ラーナーは、これを「右ポケットの小銭を左ポケットに移しているようなもの」とたとえている。

 

内国債の累積によって財政破綻を心配する健全財政論者は、空になった右ポケットだけを見て、小銭がなくなったと騒いでいるようなものだというのである。ラーナーの機能的財政論については、最近国際連合経済社会局が再評価し採用している。

 

したがって、内国債の場合、政府が財政破綻することはあり得ない。仮に将来の課税によって公的債務を返済しない場合ですらも、政府は借り換えを続けていけばよいのであって、全額返済して債務をなくす必要はないのである。なぜなら、政府(国家)は、民間企業や個人とは異なり、永続してなくならないと想定されているからだ。

 

また、政府は、通貨を発行することで債権者に支払いをすることもできる。政府が通貨発行権を有するということが、国債の返済能力を究極的に担保しているのである。この点もまた、政府の債務と、私企業や私人の債務との性格の違いを決定づけている。

 

債務と債権とは、言うまでもなく対概念である。債務があるということは、債権がある。内国債の場合、政府の債務が増大したということは、裏を返せば、国民の債権が増大したということである。したがって、政府の債務の増大をもって国富が減ったと考えるのも、反対に、国民の保有する債権の増大をもって国富が増えたと考えるのも間違っている。

 

真の国富とは、マネーそれ自体にではなく、その国の「住民の技術と勤勉さ、天然資源とこれらを結合させる設備にある」とラーナーは言う。こうしたことから、内国債の場合、政府の債務を、企業の負債や家計の借金と同じように考えるのは間違っている。

 

この内国債と外国債の違いをもたらしているものこそ、「国民」の概念にほかならない。民問企業や個人の負債や(外貨建ての)外国債とは違って、財政破綻のリスクから自由であるという特権を内国債に与えているのは、国民なのだ。もし国民経済という単位が観念できないのだとしたら、内国債と外国債とを区別する理由は確かに見出せなくなる。

 

国家の財政状態が適切であるか否かの判断は、債務の絶対額ではなく、国家財政が国民経済にどのような影響を及ぼし、どのように「機能」しているかを基準とすべきである。

 

健全財政論は、国家財政は、企業や家計と同じように、支出に当たっては、それに見合う財源が必要であると考える。

 

これに対して、機能的財政論は、政府の財政活動(課税、国債発行、政府支出、資産売却など)を、あくまで民間のマネーの保有量の調整手段と考えるのである。もし、財政の機能によって、物価の安定と完全雇用が達成できない場合には、金融政策によって調整する。機能的財政論では、財政政策が主であり、金融政策が従なのである。

 

例えば、経済がデフレにある場合、企業は投資と負債を控えるため、貯蓄過剰、すなわち民間がマネーを過剰に保有している状態に陥る。この状態を是正するためには、民間部門の貯蓄を減らし、政府が投資を拡大する必要がある。

 

この場合に求められる財政の機能は、国債を発行して民間部門に滞留するマネーを吸い上げ、公共投資として需要拡大に振り向け、国民経済の需給を調整して、物価の継続的な下落を食い止めることである。

 

逆に、経済がインフレによって悩んでいる場合には、民間部門に流通するマネーが過大であるということであるから、政府は、増税と政府支出の削減によって、民間部門のマネーの保有量を減らすという措置を講ずればよい。

 

つまり、財政が適切であるか否かは、政府の累積債務が大きいか小さいかではなく、デフレや過度なインフレに苦しんでいるか否か、失業率が高いか低いか、長期金利が高いか低いかなど、国民経済の状態を示す指標によって判断すべきだというのが、機能的財政論の基本的な考え方である。

 

例えば、現在の日本は、政府の累積債務が国内総生産の200%近くにまで達しているが、他方で長期にわたるデフレ不況にある。こうした中で、機能的財政論者は、デフレを問題視して、財政出動がむしろ足りないと判断するだろう。機能的財政論者の関心は、国家予算の数字の上での健全化にではなく、国民経済の健全化に向かっているのである。

 

なお、我が国の国債は、その9割以上が内国債となっている。

我が国では、機能的財政論が有効となる前提が満たされているのである。

 

これに対して、アメリカやドイツの内国債の比率は5割程度であり、財政破綻したギリシャは3割以下であった。

こうした国々では、機能的財政論は成立しない。

 

特にユーロ加盟国では、各国政府が通貨発行権をもたないので、機能的財政論は全く封印されてしまっているのである。

 

グローバル化はデフレ圧力を発生させ、資本家や企業には利益をもたらすかもしれないが、国民に不利益をもたらす。

 

資本主義は、放置すれば必ずバブルとその崩壊を引き起こすのである。

例えば、好景気が長期にわたって続くと、人々は将来に対して楽観的になり、強気の投資を行うようになる。

企業や金融機関は、強気になって、社債発行や借り入れによる資金調達をより許容するようになる。

しかも、こうした好況期には、金融機関が旺盛な資金需要に応えるために、新たな金融商品や金融技術を開発するようになる。

そのため、資金調達が容易になり、投資や融資はさらに過熱していく。

バブルの発生である。そのうち、金利の上昇やインフレが進んで資金調達が困難になったり、政府当局が金融を引き締めたりすると、バブルが崩壊して資産価格が急速に下落し、今度は悲観が市場を支配し、デフレのスパイラルが生じるのである。

投資家が、将来得られる利益を正確に計算したり、将来に関する完全な情報を得たりすることは不可能である。

特に、海外への投資であれば、さらに知識や情報が不足するので、将来予測はますます困難になり、将来への期待はますます不確実なものとなる。

それゆえ、バブル経済と金融危機は、一国内の資本主義でも起きうるのであるが、グローバルな資本主義では、その危険性はなおさら高くなる。

実際、歴史上、国際的な資本の移動性が高い時期は、金融危機がより頻繁に起きている。

それゆえ、貯蓄不足で海外からの資本の流入に頼らざるを得ない経常収支赤字国は、経常収支黒字国以上に、バブルとその崩壊のリスクにさらされていると言えるだろう。

何より、経常収支赤字国であるアメリカが引き起こしたリーマン・ショックが、その最大の証左である。

 

それでは、現在日本の経済(アベノミクス)を機能的財政論の立場から見ると、どうなのだろうか。

アベノミクス全体で見ても、2013年度末までは「通貨発行と経費支出(10兆円の補正予算)」という、総需要増加に最も効果的な調達と支出の組み合わせが一部含まれていたわけですが、2014年度からは調達が総需要に最もマイナスな間接税(消費税増税)に置き換わり、実質的な直接税増税(社会保険料引き上げ)も並行して、また、総需要増加に対しては無効または、マイナスな金融政策を垂れ流し、といった具合に、機能的財政論にそぐわない政策パッケージとなっていることは明らかです。

 

やはり、デフレが続く日本経済の再建の柱となるべきは、増税に頼らず財政支出を拡大する積極財政政策なのではないでしょうか。

 

(了)


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