皆様お待たせいたしました!
真正保守・石川様の寄稿コラムをお届けします!
今回も諫言をありがとうございます。
私が考えたこともないところまで石川様が色々と考えてくださっており、「進撃の庶民」が、皆様にとって、様々な形で存在意義を持つようになっていることに、嬉しさを感じると同時に、今までにも増して、責任感を感じました。
皆様もご一緒に、「進撃の庶民」を作り上げてください。
アメブロでは、それをするのがなかなか難しいんですけどね(TT)
それでは石川様のコラムをどうぞ!
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『安倍は「何」を裏切ったのか』~石川様
私は、先週、先々週と進撃界隈へ厳しい意見を申し上げたように思います。
それは精神を振り絞って出した私の正直な思いの半面でありますが、もちろん進撃という舞台に価値とシンパシーを抱いているという半面の気持ちも、本当のことなのです。
ところで、先週、先々週の前説では、私の言をとりわけ朝刊進撃への批判だと受け止めていらっしゃいましたが、特にそういうつもりはなく、広く「進撃界隈」への意見として書かせていただいたつもりです。
それに、特に進撃を運営してこられたお二人のご尽力におかれては、私としても深い敬愛の念を抱いているということだけは申し添えておきます。
また、朝刊進撃は、時の進撃の方針や界隈の雰囲気を反映させる部分があるでしょうから、私の思うところが朝刊進撃「にも」当たることはありえますけれど、朝刊進撃のこと「ばかり」のことを指しているとは言われないのです。
そう言うわけで、私は広く進撃界隈へご忠進申し上げたわけですが、ただ、本当は「進撃界隈」という漠とした単位で批判することはルール違反だとも思うのです。
だって、それじゃあ「それ、誰への批判だよ」って話になるでしょう。
また、「どこからどこまでが進撃界隈なの?」という話にもなる。
しかし、世の中では「全体の雰囲気というものへの批判」が必要なことはあるのです。
で、「全体の雰囲気への批判」と言うのは、「アイツが悪い、コイツが悪い」という形で批判しきれないものだからやむをえないのです。
それに私は、例えばWJFのように敵意でおちょくっているわけではなく、
「そもそも進撃という活動がどういう『宿命』を背負っていたか」
ということを思い出して欲しい……という友情のようなものから申しあげているのであるから、多少のルール違反は勘弁してもらいたいところです。
◆
では、進撃の宿命とは何か。
そういえば、みなさん「経済=経世済民」ということを盛んにおっしゃいますが、そもそも進撃界隈の多くの人が抱いていた、
「経世済民の具体イメージ」
とは、どこから来たのでしょう。
言っておきますが、最近目につきすぎですけど、単なる「弱い人目線」というだけのヒューマニズムでは、ただの「済民」なのですからね!
それなら、日本人よりも、グローバルに飢餓に苦しむ弱い人たちをすくう方が先ということになってしまうでしょう。
でも、我々は、例えば隣の北朝鮮ですら何千人、何万人が餓死しようとも、日本国家と日本国民のことが気になる以上には気にはならないのです。
その字をよく見てください。
経世済民とは、
「世をおさめること」
と
「民をすくうこと」
が、セットになっているところに意味があるに決まっているのです。
言い換えると、経世済民とは、
X「どのような国家の治め方が、国民を救うか」
と、
Y「どのような国民の救い方が、国家を治めるか」
というところに循環関係があるという意味でしょう。
この循環関係があるから、我々は日本国家のことが気になり、日本国民のことが気になるのです。
さらに、この「経済とは経世済民という言葉の略だ」ということは西部邁さんがずっと書かれていたことですが、また西部邁さん流に言えばエコノミクスの語源も「家政」=「家のやりくり」→「国家のやりくり」という意味であるから、経世済民と同じ意味なのです。
すなわち、経世済民とは
「国家を秩序づける統治」
という意味であり、根元的には「政治」と同じ語なのです。
でも、この経世済民(国家を秩序づける統治)が、平成の過酷な状況に合わせて、具体的にどういう政策を取るべきかを判断するのは、それなりに難しいことです。
でも、そんな難しいことについて、我々は一応の具体的な解答を持っていますでしょ。
それは大きく言って、
1
政府権力がカネ(公債)を刷って、
政府権力が公共土建事業を各地方で発注することによる経済安定化
(ケインズ政策)
2
産業既得権益による、価格維持のための談合やカルテルの容認
(シカゴ学派的な独占禁止法の緩和)
3
政府権力による「規制」の強化
(反規制緩和、反グローバリズム)
……というものでしょう。
これは、
「国家の中で国民の帰着する仕事、地域、産業、事業の成り立つようにする秩序の付け方」
という基準で、経世済民に対する検算も成り立ちます。
でも、こうした解答は、我々素人の一人一人が勝手に考えて編み出したものじゃないでしょ。
そもそも、90年代から政治制度改革、行政改革、構造改革……とやって、2000年代には小泉、第一次安倍と「強い人だけの目線」でやってきた反省で「お灸を据える」意味で一度民主党に政権をやらせたら、その「弱い人だけの目線」という反省の「仕方」も間違っていると証明された。
じゃあインテリの主導してきた「平成の諸改革」に対してどういう「反省の仕方」をすれば良いのだろう……という機運の中で、
「三橋貴明さん、中野剛志さん、藤井聡さん、西部邁さん」
といった先生方がネット上で注目されたのでした。
そして、その2010年代初頭に彼らへ注目していたのはインテリではなく、我々界隈の「庶民」でしょう。
この注目こそが、
「健全なポピュリズム」
だったのであり、進撃界隈の人たちの理論的な祖にあるわけでしょう。
(※そうじゃない人もいるかもしれんですが)
で、2012年末に誕生した第二次安倍内閣というのは、その
「健全なポピュリズム」
を何事か背景に登場したはずだったでしょ。
もちろん、過去に第一次安倍内閣を経験していたので、当初から不安要素はあったのだけれど、
「第二の矢」
を言い出して、総裁選を勝ち、規制緩和論のトーンを落とし、
「TPPの不参加(過度な自由貿易の否定)」
を言って2012年末の選挙を勝ったのでした。
(ちなみに、過度な自由貿易の否定とは、規制緩和路線の反省を当然ながら含意するはずのものです)
だから、この第二次安倍内閣は「政権担当能力としての自民党を取り戻す」以上に「背負ったポピュリズムに応える責任」があったはずなのです。
しかし、安倍は「それ」を裏切ったわけ。
結局は、庶民のポピュリズムを裏切り、インテリ理論についた。
「案の定」「わかっていたこと」
と言うことはできるかもしれませんが、これは単なる嘘ではなく「裏切り」であり、裏切った対象が「我々の健全なポピュリズム」であったという点に「罪」があるわけでしょう。
その裏切り感をゴマカす最初の敵が、すぐ横にいたリフレ派だった。
だからみなさん、
「マネタリーベースとマネーストックの違い」
とか一生懸命にやって戦っていたわけでしょう。
こうして、TPPとリフレ派を媒介にし、裏切り感をゴマカしつつ、規制緩和、構造改革路線を復活させていく安倍政権でしたが、保守派は単に安保法制を喜んだりしているだけだから、ちっとも話が通じません。
左翼は左翼で、安保法制にムカついているだけだから、ちっとも話が通じない。
そういう中で出てきたのが進撃だったでしょう。
つまり、進撃は、安倍首相の「ポピュリズムに対する裏切り」への怒りとして現れた。
そういうふうに、私は見てましたよ。
私が、進撃の宿命と言うのは「それ」のことです。
(了)
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