奇説は君だけが変える | 日々点描

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笑え、俺

 広告に勝手に顔晒されて提灯持ちさせられた場合、報酬が得られないのはもちろんのこと、当該商品を推していないか、更には使ったこともなければ世間的には嘘つき扱いされて、人格すら毀損されるのだから溜まったものではなかろう。

 

 旧“顔本”は「ど~せ只で使わせてやってるんだから、そっち側の迷惑など知ったことではない」との方針らしい。

 巷でよくある「この駐車場内での揉め事は、管理者は知らんよ」という看板と同じ思想である。

 呆れたもんだが、我々が突っ込みたいのはそこではない。

 富豪と有名人の喧嘩は、そっちで勝手にやってくれればいいのだけれど、そもそもこんなんがまかり通ったら、世の中全ての宣伝広告が信用できなくなるのである。

 

 今回のように、出稿側に悪意があろうとなかろうと、消費者側は広告の信憑性を判断が出来んのだからど~しようもない。

 画像どころか動画ですら捏造可能な社会になってしまった以上、すべての広告が怪しいと言えば言えてしまうのだ。

 

 嘘つきや悪者が発覚して吊るし上げられる前に、消費者の多くは既に騙された後である可能性が高い。とてつもない迷惑な社会がそこまで来ているのである。