麻雀その①-結婚生活- | ギャンブル依存症を自覚したボクが書く日記

麻雀その①-結婚生活-

当時、ボクは焦っていた。

父親がガンだと診断された。

父親の思いと、

自分の状況を思い比べてみた。

やるせなさがボクのココロを支配した。


何ができるだろう・・・。

何をすれば、

父親を安心させることができるだろう。


地道に歩むしかないのに、

そして、そのことを望んでいただろうに、

ボクは、そんなことすら気づかないほど

焦っていた。


以前にも書いたが、

ボクには目標があった。

ストーリーテラーとして生きること、だ。

『物語を作るヒト』に

なろうとして、上京してきたのだ。

ボクの思いは、父親の思いを逸れ、

『地道に生きる』という当たり前の道を逸れ、

『夢をなるべく早く叶える』

という方向へ向かった。


そもそも、

作家にしろ、シナリオライターにしろ、戯曲家にしろ、

叶えるために必要なのは『地道な作業』だ。

それは、ギャンブルに浸かったボクにとって、

もっとも縁遠い言葉になっていた。


焦れば焦るほど、

物語を紡げない自分がいた。

叶えたいと強く思うほど、

いくつもの物語を、書きかけで投げ出した。


そして、そこで生まれたムシャクシャした気持ちを

吐き出すために、忘れるために、

麻雀を打ち続けた。


それぞれのギャンブルには一長一短がある。

競馬は週末しかやっていない反面、

2分程度であっさりと金が消える。

パチンコ・パチスロは、気軽に入れるが、

必ず閉店時間がやってくる。

そして麻雀は、お金の動きはゆったりしているが

24時間、いつでもできる。

そして、ギャンブルは、どこかでやめない限り、

『負け』も『勝ち』も確定しないのだ。


勝っている時、もっと勝ちたいと思い、

勝ち分をすべて失くしたこともあった。

負けている時、取り返さなくてはと、

さらなるどん底に落ちたこともある。

勝ちには天井はないが、

負けには底がある。

財布の中が空になった時、

負けは確定する。

ギャンブルとは、そういうものだ。


そして、おそらく、カノジョのココロは限界だった。


ボクは、父親のことがあって、

その間は一緒にいてくれるだろうと考えた。

支えてくれるだろうと、

勝手に考えていた。

ところが、カノジョは違う感情を抱いていた。


父親の病気を知っても、

表面的に変わらないボク。

ココロが通わせることができないと思ったはずだ。

そして、

余命2年とするならば、

こんな生活が2年も続く。

その2年が、カノジョにとっては

永遠にも感じられたのだと思う。


小春日和のある日――

カノジョはボクに真剣な顔で切り出した。

「やっぱり、離婚してほしい……」


止める術を持たなかった。

ここまで追い詰めたのはボクだ、

それくらいは理解していたから。

そして、ボク自身も、

肩身の狭い、カノジョとの生活を

これ以上続ける自信はなかった。

いつか来るであろう日が、

この日にきた、それだけのことだった。


「離婚する・・・」

父親は、この報告を

どのような思いで聞いただろう・・・

その時のボクは、それだけが心残りだった。


こうして、ボクたちの結婚生活は

あっさりと幕を閉じた。

カノジョの実家で暮らしていたため、

ボクは安いアパートを探し、

引越しをすることにした。


五月晴れのその日。

テイエムオペラオーが淀の3200mを

懸命に走っていたのを思い出す――。


そして、

ボクとカノジョが紡ぐストーリーは

これで終りではないのである。

(つづく)


結婚生活は終っても、

まだまだボクの物語は続きます。

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