42才のお祝い、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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我が家の納戸に使っていない古いディザインの漆の食器が沢山ある。母親の話では、爺さんが42才(数え年)のお祝いの為に買い揃えて準備しておいたものだと言う。

42才の厄年まで生きられたのは、祝うべきお祭りであったようだ。我が地区では一週間位、宴会を続けたとのことである。

実際には、爺さんは数え年の73才まで生きながらえた。


参考


42歳の「初老祝い」(豊北町滝部·大正13年頃)

1日目は集落の人びと、2日目は友人など、3日目は親族を招き祝宴を開いた。祝儀として持ち寄られた米俵が部屋に堆く積まれているのがよくわかる。

(下関・豊浦の100年より)(彦島のけしきより)