天皇の三種の神器の勾玉のルーツはネアンデルタール人の鷲の爪のネックレス!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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ネアンデルタール人が製作したと考えられる鷲の爪のネックレスが見つかった。ネアンデルタール人の文化がもし現生人類に受け継がれていたなら、現生人類の時代にも同様なものが出てくるかも知れないと期待されている。

実は、日本人の先祖は現生人類の中でネアンデルタール人と最も長く交際して、最も多くの遺伝子を受け継いでいた。だから、ネアンデルタール人の文化が日本人の文化に残留している可能性が最も大きい。

そう考えると、縄文時代以来の遺跡から出土する勾玉、そして天皇が代々、受け継いでいる三種の神器の八尺瓊の勾玉などの形がネアンデルタール人の鷲の爪のネックレスによく似ている気がする。


参考

① イベリア半島、ホモ・サピエンスとネアンデルタールの出会いの真相とは

2019/11/09 00:00(参考)

面白そうだけど今の段階だと何とも言えないなぁ、という研究があったのでメモがわりに。

ネアンデルタールは、南ヨーロッパでは12万年前~4万年前ごろに暮らしており、のちにホモ・サピエンスに追いやられるようにして消えていった。彼らのヨーロッパでの終焉の地はイベリア半島と考えられているのだが、その場所で、消えゆく前の最後の時代の、ネアンデルタールが製作したと考えられる鷲の爪のネックレスが見つかったという。

この爪は、ネアンデルタールの特徴的な文化 chatelperronian(シャテルペロニアン/シャテルペロン文化) に属するものだという。この文化は、ホモ・サピエンスが生息域を広げていく中で、ネアンデルタールと接触していたかもしれない時代のものだという。

The Last Neanderthal Necklace

The Châtelperronian Neanderthals of Cova Foradada (Calafell, Spain) used imperial eagle phalanges for symbolic purposes


しかしこの話の主題は「最後のネアンデルタール」という感傷的なものではない。元論文を見ると、異種族の接触によってネアンデルタールからホモ・サピエンスに受け継がれた文化があったのかどうか、という話のようだ。この鷲の爪のシンボルはネアンデルタールが好んで使っていたものだが、もし受け継がれていたなら、ホモ・サピエンスが住むようになった時代からも発見されるかもしれない。

場所はCova Foradada、Covaは洞窟という意味。

スペイン語だが動画で見ると場所や内部が分かりやすい。


前段階となる研究内容
Findings in Cova Foradada change map of Iberian Neanderthal cultures

かつてはシャテルペロン文化はスペイン北部まで、と考えられていたのだが、この記事の時に、スペイン南部にも広がっていたことが分かって文化地図が少し書き換えられた。今回のはその続きの内容になる。


そもそもネアンデルタールからホモ・サピエンスへ何かが引き継がれたかもしれない、っていう研究は今まであまりされてなかったような気がするんだよね。ネアンデルタールは劣った野蛮人、というイメージが強かったし…高度に象徴的な思考も苦手だっただろうと言われていたので。

それに、ホモ・サピエンスに個人差が大きいように、ネアンデルタールにもそれなりの個人差や環境による差が存在する可能性があると思う。異なる人間同士が接触することが刺激になって何か生み出される可能性も無いとは言えない。DNAのように科学的に「混じり合った」ことを確実に証明するのが難しい"文化"の混血は、どうやって立証していくのだろうか。


② 日本の勾玉の歴史は紀元前5000年前

いにしえの自然と奮闘記(2010/2/18、参考)


日本では三種の神器の一つである勾玉。

日本の勾玉の歴史は紀元前5000年前であることがわかっている。

勾玉というと翡翠(ヒスイ)を連想される方も多いと思うが翡翠にも「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト」の2種類がある。

世界の宝石で登録されているのは本翡翠(ホンヒスイ/硬玉)ですが、中国では硬玉と軟玉のどちらも好まれる。

朝鮮半島では5世紀から6世紀にかけての新羅・百済・任那の勢力圏内で大量の本翡翠製勾玉が出土さているが、実は朝鮮半島では本翡翠は産出されない。

アジアの本翡翠の産出国はミャンマーと日本であり、中国では軟玉(ネフライト)が産出されるが硬玉の本翡翠は産出されない。

朝鮮半島とミャンマーとの距離を日本との距離で考えると日本との間に海があるとはいえミャンマーとの距離は20倍以上離れていることから朝鮮半島で出土する本翡翠の勾玉は日本の本翡翠の勾玉ということがいえる。

また、ミャンマーには勾玉の文化は残されていないし出土されていないこともあげられる。

現在市場に流通されている本翡翠は産出が安定的なミャンマー産が多い。

決定的なことに朝鮮半島で大量の本翡翠製勾玉が出土されているものは、最新化学組成の検査によって朝鮮半島で出土される本翡翠の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じものであることが判明されている。

私の知り合いの韓国民俗学研究をしている方が勾玉は韓国から日本へ伝えらえたとしきりに言っていたことがあったのですが、最新の化学組成の検査によって日本が遥かに古く存在していることが証明された。

私が言いたいのは日本が上とか朝鮮が上という話ではなく、勾玉の文化を共有していたのは日本と朝鮮族と極一部の中国だけである。先人は互いの文化交流があった証であることから狭い地域でいがみあっていても意味がないと思う。

日本では勾玉は古墳などで出土されるが、現在でも韓国では高貴とする人達のお墓におお麻の装束と勾玉の装飾品と共に埋葬されることがあることを韓国民俗学研究をしている方から教えていただいたことがある。

現代でもなお勾玉の文化は日本人と朝鮮族の中で現実として生きているといえる。

賛否両論あることだが、勾玉は穢れや邪気を祓うといわれることから感情論の邪気を祓って欲しいと願う


③ 学芸員自然と歴史のたより「勾玉って何がモデル?」

横須賀市自然・人文博物館(参考)

小中学生を対象とした夏休み企画のなかで、「古代ネックレスをつくろう」という行事を毎年開催しています。時折、参加者から「勾玉は何をモデルとしているのですか?」と質問されることがあります。熊や猪の牙、胎児、三日月など諸説あるのですが、結論的にいえば答えは「わかりません」なのです。

夏休み企画で作った丁字頭勾玉のネックレス

縄文時代にはその不思議な形から「異形勾玉」と呼ばれるものがあります。弥生時代に入ると、ドーナツを半分に切ったような形の勾玉が出現しますが、これは稲作とともに大陸から伝えられた形と考えられています。その後、頭部が丸く体部が長いお馴染みの形の勾玉が登場し、古墳時代をとおして翡翠や瑪瑙などさまざまな石材で作られます。ただし、丁字頭(ちょうじがしら)と呼ばれる初期の勾玉の頭部には、タコ糸巻きのハムのように、きつく巻いた糸の間に盛り上がり表現がみられることから、オリジナルは比較的軟らかな素材で作られていたと思われます。このように、勾玉と一口に言いますが、実は時代によってモデルやルーツが異なっているようです。

弥生時代の大陸系勾玉

ところで、多くの人がイメージする頭が極端に大きいオタマジャクシのような形は、古代の勾玉にはありません。ではなぜ勾玉がこのような形であると思うようになったかといえば、現代でも目にする機会が多い神社・仏閣などでみられる日本古来の巴紋や、古代中国の道教における陰陽のシンボルマークである太極(タイチー)図などが勾玉の形に似ているためではないでしょうか。(考古学担当 稲村)

三巴(左)と太極図(右)

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④ 三種の神器の一つとして八尺瓊勾玉があるが、なぜ勾玉なのか?(参考)

実は、勾玉はメノウまたはヒスイで出来ているが、当時の日本だけのハイテク加工技術で生産されたからである。また、特にヒスイの原石はほとんど日本のみで産出し、まるでダイヤモンドのような希少性のある宝石であった。

すなわち、勾玉は縄文時代以来の日本の象徴であった。


⑤ 勾玉について(wikiより)

多くは、Cの字形またはコの字形に湾曲した、玉から尾が出たような形をしている。丸く膨らんだ一端に穴を開けて紐を通し、首飾りとした。孔のある一端を頭、湾曲部の内側を腹、外側を背と呼ぶ。多くは翡翠瑪瑙水晶滑石琥珀鼈甲で作られ、土器製のものもある。青銅などの金属製も存在するが、数は非常に少なく、青銅製は2013年1月時点で4例しか存在しない。

その形状は、元が動物のであったとする説や、母親の胎内にいる初期の胎児の形を表すとする説などがある。鈴木克彦は縄文時代極初期の玦状耳飾りが原型であるとの説をとる。

日本の縄文時代の遺跡から発見されるものが最も古い。


⑥ 旧人ネアンデルタール人は現生人類の遺伝子の中で生きている。そして、日本人はネアンデルタール人と最も長く交際して、最も多くの割合で遺伝子を保存している。