東西文化の混合の地、糸魚川市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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糸魚川市の市内では東西文化が混在しているとか、ホタルに至っては光の点滅周期が中間とか!

著者はてっきり、西隣の親不知が険しい白馬岳の山麓の北端になって東西交通を遮断しており、糸魚川は東日本に属していると考えていた!また、東側も比較的高山であり、西日本に属するものもあるとは考えてはいたが、まさか混合していたとは思いもよらなかった。

物や文化が混合しただけでなく、それらを受容する人そのものも混合しているのかも知れない。ホタルの光の点滅周期の中間の種の存在がこれを示唆している。

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糸魚川市街

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糸魚川市は孤立していなかった。江戸時代までは北前船で、現在はJRと高速道路で海岸沿いに東西の交通の交流があるが、さらに南の松本・安曇野から東西交通が混合して北上していた。


参考

① 食や生活文化も 東と西の「境界のまち」糸魚川構造線、中華まん、灯油ポリタンク…

日本経済新聞(2016/2/25 3:30、参考)

日本一のヒスイの産地である新潟県最西端の糸魚川市は富山県と長野県に隣接する。日本列島を東西に分断するフォッサマグナ(大地溝帯)の西側の境界線である糸魚川―静岡構造線の北の起点に位置する。この糸魚川―静岡構造線は、地質的な境界というだけではなく、食文化や生活習慣の東西の境界でもある。

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東西文化の違いを市民にも知ってもらうためパネル展示もしている

例えば、カップ麺の味付けは東の濃いめと西の薄めが糸魚川のスーパーでは一緒に売られている。中華まんの名称は東が肉まん、西は豚まんだが、糸魚川は混在している。

天ぷらにソースをかける習慣は西日本に多いが、その境界も糸魚川―静岡構造線なのだ。灯油用のポリタンクは東が赤、西は青で、糸魚川では両方の色が使われている。

糸魚川市ではこの「境界のまち」を全国にPRする取り組みが進んでいる。きっかけは2004年、糸魚川信用組合に全国で初めて「まちづくり推進室」ができたことだ。中心的な役割を果たしてきた同推進室アドバイザーの早津邦彦氏は「まちが衰退すれば金融機関も衰退する、という強い危機感があった」と振り返る。

市民団体「まちづくりサポーターズ」と連携しながら、これまでに東西の違いを図解したパンフレットや小中学校の教員向けに背景を丁寧に解説した副読本を作った。3月26日には「ふるさと創生元年 勝ちのこれるか糸魚川」と題するシンポジウムを市内で開く。

副読本には、食文化に詳しい野瀬泰伸・日本経済新聞特別編集委員の文章が紹介されている。それによると、大みそかの夜に食される「年取り魚」は東日本のサケと西日本のブリに分かれる。長野は広くブリ文化だ。富山市から松本市に至る「ブリ街道」を通じてもたらされ、もう一つのルートである糸魚川と松本を結ぶ塩の道「千国街道」を通じても糸魚川ブリが入った。しかし、長野県の北部、東部には新潟からサケが入ったという。糸魚川はサケとブリが混在している。

東西の違いで興味深いのが、ゲンジボタルの発光周期の違いだ。東日本は4秒に1回、西日本は2秒に1回、糸魚川周辺では3秒に1回の中間型がいる。理由はよくわからず専門家の研究対象になっている。

糸魚川市は暑くて寒い。1990年8月には30.8度という1日の最低気温の国内最高記録を観測。2013年10月には最高気温が35.1度と、国内で初めて10月に猛暑日を記録した。ところが標高が300メートルを超える山間部では、海に近い場所でも真冬には3メートルも雪が積もる。気象環境も極端な混在がみられる。

早津氏は「糸魚川が持つコントラストは多様性を認める文化でもある。富山や長野の異文化を吸収し違和感なく溶け込んでいる。境界のまちとは、排他的でなく共生する文化なのだと発信していきたい」と話す。(大久保潤)


② 東西文化の違い(参考)

東西文化の違いは、ある境界線で遮断されて二分していると考えている。


③ ほとんどは糸魚川より西に境界があった

NIKKEI STYLE経(参考)

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