参考
【関西の議論】「信長への怨恨」鎮める“幻の駅”も…90周年「比叡山坂本ケーブル」の歴史秘話
紀貫之の墓が近くにある幻の駅「もたて山駅」を通るケーブルカー
比叡山延暦寺への大津市側からの交通手段である「坂本ケーブル」が今年、開業90周年を迎えた。1世紀近く前、神聖な霊峰に鉄道を敷設するという事業は想像以上の難工事だった。路線は、織田信長の焼き打ちに由来がある“幻の駅”や、ある一点で柏手(かしわで)を打ったときだけホールが反響する駅舎もあり、神秘に満ちている。「日本仏教の母山」を走る国内最長2025メートルのケーブルカーにまつわる歴史秘話を探った。(杉森尚貴)
霊峰への敬意
坂本ケーブルは大正14年に着工。延暦寺参詣の手助けに、と計画されたが、その峻厳(しゅんげん)さから信仰者を容易に寄せ付けなかった比叡山を切り開く工事には、多くの困難が伴った。
起伏の激しい山肌、連続する山や谷。難しい地形は迂回(うかい)し、ときにはトンネルを掘り、橋もかける。その結果、7カ所の橋梁(きょうりょう)と2カ所のトンネル、そしてカーブが連続する線路となり、日本最長となった。
一般的にケーブルカーの敷設は、山を切り開き、ほぼ直線とするのが基本とされる。工事の効率性があがり、コスト面でも低減化ができるからだ。その意味でも坂本ケーブルは異例の工事だった。
運行する比叡山鉄道によると、計画を詳細に伝える資料は少ないというが、総工費は当時の価格で111万円。会社の資本金(100万円)を上回った。
工事が難航したのは「霊峰」ならではの理由もあったという。山頂には天台宗の総本山の延暦寺、ふもとには全国に約2千社ある「日吉・日枝・山王神社」の総本社、日吉大社と日本を代表する神社仏閣が鎮座する。工事の際「山肌に開発の爪あとが残らないように」や「車窓から神聖なる社殿を見下ろすことにならないようにしてほしい」などと要望があった。
山肌を縫うケーブルカーが麓から見えにくく、また、社殿も見下ろせないようにするコースや工法を取ったとみられるという。
工事は昭和2(1927)年に完成。杉江健運輸部長(65)は「驚くほどのスピード。相当な技術力があったのだろう」と話す。
難工事の末に完成した霊峰のケーブルカーが運んだ人員は延べ1350万人。一度も大きなトラブルはなく、欧州から取り寄せたと伝わる線路も90年間大きな劣化はないという。
山に溶け込む“幻の駅”
麓の「ケーブル坂本駅」と山頂の「ケーブル延暦寺駅」を11分でつなぐ坂本ケーブルは、たまにダイヤが狂う。中間にある2つの“幻の駅”に臨時停車するためだ。
麓から約1分、トンネルの前に静かにたたずむ乗降場が見える。「ほうらい丘駅」だ。うっそうとした山林が広がる駅周辺には、内部が祠(ほこら)となっている洞窟があるのみ。実は、織田信長の比叡山焼き打ち(1571年)で犠牲になった人の慰霊のためつくられたと伝わる地蔵を安置している。
ケーブル建設工事がきっかけで、付近から200以上の地蔵が掘り出された。地蔵は祠をつくって安置することになり、さらに霊を慰める人のために駅もつくったという。
もう一つの幻の駅は山頂付近にある。小さなベンチがちょこんと置いてあるだけの「もたて山駅」。登山道と隣接しており、鳥の声を聞きながら駅から500メートルほど山の中を歩くと、平安時代に書かれた日本初の仮名文日記「土佐日記」の作者、紀貫之の墓があった。
琵琶湖を愛し、湖が見渡せる場所での埋葬を希望した歌人をしのぶ人などのため、駅がつくられた。
幻の2駅で降車するには、乗車前に車掌へ申告が必要。2駅を訪れる人はわずかというが、開山1200年の奥深い歴史の一端をみることができる。
柏手で「鳴き龍」?レトロな駅舎も人気
レトロな駅舎も人気だ。坂本、延暦寺の両駅舎は平成9年に国の「登録有形文化財」となった。
坂本駅の駅舎内には「ケーブルの七不思議?」という社員の手作りコーナーがある。その一つに「延暦寺駅には龍が住んでいる」との記載があった。
大寺院の法堂内などで手をたたくと「ビィィン」という音の反響が起こることがある。日光東照宮(栃木県日光市)の薬師堂などが有名で、法堂の天井に龍の絵が描かれ、龍が鳴いているように聞こえることから「鳴き龍」と呼ばれる現象だ。
延暦寺駅は天井に龍は描かれていないが、同様の「鳴き龍」現象が切符売り場付近で起きる。ただ特定の地点でしか起こらず、かつては床に場所を示していたが今はなく、「反響の起こる場所を探す楽しみがあります」と同社。
90周年というメモリアルイヤーだが、坂本駅に記念看板を出し、車体正面に記念シールを貼っているのみ。杉江運輸部長は「特にイベントは計画していない。100周年に向け、改めて安全運行に努めます」と話している。