我が郷土の方言のアクセントのルーツが古代の関西弁とは信じられない | 日本の歴史と日本人のルーツ

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金田一春彦は「古代の関西弁のアクセントを祖アクセントとして、現在の下関弁を含む全国の東京式アクセントが出来た!?」と主張している。信じられない!

日本列島では長い歴史の中で人々は交流し、日本語は均一化、標準語化しているが、固有の方言は仲々変化しないし、特に違和感のある関西弁が日本語のルーツであったなんて考えられない。

関西人は東京でも京阪式アクセントの関西弁を変えられない。下関人は同じ東京式アクセントの標準語は意識すれば喋れても、関西弁の習得はほぼ不可能である。

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関西弁の範囲は明確に線引き出来、不連続に京阪式アクセントから東京式アクセントに変化する。そして、京阪式アクセントに囲まれるように紀伊半島の吉野から十津川あたりが、東京式アクセントを保っていることも、関西弁が地方に影響を与えていない証拠である。

金田一春彦氏の研究の前提は
① 京都のアクセントの記録が残っている。
② 代表的な資料に、平安時代後期の『類聚名義抄』や、室町時代のアクセントを記した『補忘記』がある。中間の南北朝時代に京都のアクセンに大きな変化があった。
③ 類聚名義抄のアクセントを祖アクセントとして、地方は独自に変化、統合した。
④ 地方のアクセントは現在のものを利用している。

拙著での反論
① 類聚名義抄の京都のアクセントを祖アクセントとしたため、それ以外のアクセントは皆、それより新しいと見做される。
② 南北朝時代に京都のアクセントが大きく変化し、それ以降のアクセントは室町時代の『補忘記』に基づくとしているが、何故アクセントが変化したかを明らかにしていない。南北朝時代と言えば、東国武士による幕府が京都の室町に所在し、南朝の後醍醐天皇らと対立して北朝の天皇を擁立している。「東国武士の言葉のアクセントに反発する」とかの影響があると考えて間違いない。
すなわち、東国武士の言葉のアクセントの影響を受け、この地方アクセントに反発して京都のアクセントの方が極端に変化した。広大な周辺の東京式アクセントはあまり変化していなかったと考えた方が自然である。
④ 結果として、現在の京阪式アクセントと東京式アクセントが近づいたとは言えず、いっそう互いに相反するアクセントとなった。

拙著では、東京式アクセントの言葉のルーツの方が古く、元々は近畿地域も含む全国がほぼ同一のアクセントであったのが、京阪式アクセントのルーツの古代関西弁を話す百済人が後から近畿に渡来してきたと考えている(参考)。この関西弁の京阪式アクセントは、南北朝時代に、東国武士由来のアクセントに反発して更に大きく変化していたと考えている。


雑談1
近畿の百済人が政権の中枢であったが、南北朝時代、東国武士が京都に室町幕府を樹立して政治に干渉するようになった為、百済人達の関西弁を大きく変化させたことになる。実は東国武士のルーツは朝鮮半島の新羅にあり(参考)、百済人と新羅人はかつての朝鮮半島で争っていた。この争いを南北朝時代の京都で再現したことになる。


雑談2
源頼朝が幕府を鎌倉に置き京都にしなかった理由は、京都の百済人の末裔達の公家と反りが合わないことが初めから分かっていたからと思われる。徳川家康も初めは京都の伏見に滞在した頃に征夷大将軍に任ぜられ、伏見の街を整備したが、結局は江戸に幕府を移している。


雑談3
上代日本語八母音説もそうだか、関西弁のルーツの百済語が原日本語の初期の段階を保存していたかも知れない。すなわち、東アジアにあった初期の原日本語の多様なアクセントや8母音の体系は百済人はそのまま保存して、日本に渡来してから5母音になって現在の京阪式アクセントに至った(参考)。これに対し、在来の縄文人や秦氏などの渡来人達は早い段階でアクセントの多様性を失い、5母音の東京式アクセントで日本列島に先行的に居住していたと考えられる。


参考

日本語のアクセントの歴史(wikiより)

日本語のアクセントの歴史については、京都のアクセントの記録が平安時代から残っており、今の京阪式アクセントになるまでにどのような変化をしてきたのかが明らかになっている。代表的な資料に、平安時代後期の『類聚名義抄』や、室町時代のアクセントを記した『補忘記』がある。京都のアクセントは、南北朝時代に大きな変化をしており、それより前の時代のアクセントを名義抄式アクセント、それより後の室町時代のアクセントを補忘記式アクセントと呼ぶことがある。

比較言語学の手法を用いることにより、全ての類を区別する名義抄式アクセントを祖アクセントとして想定し、これが各地で別々の変化・類の統合を起こして現代方言のアクセントができたと考えることができる。金田一春彦は、東京式アクセントは京阪式アクセントが変化して生まれたと推定し、これがほぼ定説に近いものとなった。