懐かしいマリンピアくろい | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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豊浦町大字涌田後地にかつてレジャーランドみたいなものがあって、プールに泳ぎに行って、帰りにハマチの養殖場で魚を釣って帰った記憶がある。今は羽生善治の七冠達成の地の記念碑とハマチの養殖場があるのみである。

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昭和62年(1987年)、マリンピアくろい10周年記念王将戦(ふるさと下関より)

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平成28年現在、旧マリンピアくろいの入口前駐車場

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旧マリピアくろい入口隣の黒井観光釣堀

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ハマチ養殖場

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黒井漁港


参考

① マリンピアくろいの今昔

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昭和50年(1975年)、黒井漁港とマリンピアくろい予定地、既に工事が始まっている。

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昭和52年(1977年)開業、マリンピア豊浦となっている。

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平成7年(1995年)

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平成28年現在

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平成28年現在、施設の残骸


② マリンピアくろい(wikiより)

1977年に、黒井漁業協同組合と組合員の共同出資により「株式会社黒井漁協自然海浜センター」を設立し、これを運営母体に、海浜に面したホテル、スポーツ施設、レストラン、遊園地などを備えたリゾート型総合レジャー施設として開業した。漁協を母体にしたレジャー施設は珍しく、開業にあたり県信漁連は約33億円、黒井漁協は約41億円を融資した。

1980年代には大相撲の地方巡業やジャズ・フェスティバルを開催するなど、夏場を中心に多数の来場者を集めた。1996年2月14日羽生善治が史上初めて将棋の七冠を達成したのもマリンピアくろいのホテルでの出来事であった。しかし、開業当時から慢性的な赤字経営だったことに加えて1980年代末を期に入場者数が減少して採算が悪化、1997年頃閉鎖された。

2003年、パチンコチェーン大手のダイナムに施設・敷地が売却され、同社の研修施設『マリンピア豊浦』となり、現在に至っている。


③ マリンピアくろいの概要(参考)

マリンピアは、結婚式会場、展望大浴場、和室別館、本館クラブハウス、別荘や海水浴場、バンガロー、体育館、古墳公園、テニスコート、さらに遊園地ゾーンには海抜100㍍の大観覧車やゴーカート、サイクルモノレールなどをつぎつぎに建設。滑り台つきのプール、パットゴルフ場、野球やサッカーができる総合グラウンド、屋根つきのマリンピア・ドーム、屋外ステージなどをつくっていった。

設立当初の投資額が16億6000万円、その後も投資を拡大し、最終的に公表されているだけでも49億8000万円にのぼった。設立以来、赤字の出ない年はなく、営業開始年の繰越損失金が約2億円、20年後につぶれるまで赤字は雪だるま式にふくれあがるばかりで、破産する前年の決算では繰越損失金は32億200万円にもなっていた。漁協と信漁連を食いつぶす会社にほかならなかった。

そして「大相撲豊浦場所」を毎年10月下旬に開催。有名ジャズシンガーを呼んでのコンサート。羽生名人の将棋七冠を誘致するなどした。