昭和61年頃、弥生時代中期の下七見遺跡、菊川町
五年かけて発掘された。7000本を超える柱穴、887基の土坑が発見された。土笛、新潟姫川産ヒスイ勾玉、日本最古のガラス製勾玉の鋳型も出土した(ふるさと下関より)。
綾羅木郷台地遺跡、土井ヶ浜遺跡など北浦海岸側に分布する遺跡から出土する土笛、山形重孤文の綾羅木式土器が出土した。すなわち土井ヶ浜弥生人と同族が生活した遺跡である。
周防灘沿岸の下関市王司あたりの遺跡から北九州の弥生人を葬る甕棺とよく似た壺棺が出土しており(参考)、下関市内の北浦海岸側(石棺墓)と周防灘側(壺棺墓)で、二つの異なる弥生文化がせめぎ合ったようだ。
参考
(遺跡ウォーカーより)
下七見遺跡の綾羅木式土器の山形重孤文施文土器①(参考)