子供時代、テレビが無いころの映画館 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

子供時代(昭和30年代)のテレビが無い時代、大きな町には大体一軒の映画館があった。安岡では内山医院とJR安岡駅の間あたり、吉見では駅から遠く、南にあったのを記憶している。その他、小学校講堂や近くの公会堂で映画を上映していた。山城新伍?の主演映画「風小僧」が懐かしい。

下関文化会館(細江町)はシーモールが出来る前まで映画を上映しており、高校生時代、映画「猿の惑星」を見に行った。


参考

① 戦前からの下関の劇場や映画館(参考)


② 小月劇場(ふるさと下関より)

{EE7681D4-7057-48A9-BAEB-50ADDE69344C}
昭和25年(1950年)小月劇場


③ 昭和32年の下関の映画館(
参考)

若草映画劇場、OS東映、邦楽座、下関文化劇場、下関新東宝、下関日活、安岡映劇、大新館、新地東映、大勝館、東映センター、みなと映画劇場、長府映劇、寿映画劇場、太洋劇場、山陽映画劇場、光映館、名画座、演芸館、OSセンター、小月劇場、小月OS東映、調布OS劇場、吉見劇場


④ 安岡劇場、江戸時代の芝居小屋風であった。

{525B3C8E-9B34-4F2C-90FF-06340EA18287}
安岡劇場は中央あたり、内山医院とJR安岡駅の間、廃業後は一時、トモエ?と言うスーパーマーケットになった記憶がある。


⑤ 吉見劇場

{C2F0374A-EBFB-4593-BF94-858A43131843}
吉見劇場は吉見駅より南、石鎚大権現近く(今のスーパーマーケット?)の寂しい林の中にあった記憶がある。