筆者が子供の頃、戸畑駅南口を降りて西方向に鹿児島本線の線路沿いに日立金属の硫黄臭い排気ガスを嗅ぎながら進み、天籟寺川から南下して、牧山の麓の母の実家を訪れた記憶がある。当時は、七色の煙がたなびく戸畑市の歌の様な風景であった。
この戸畑市も北九州市に合併し、北部埋立地の新日鐡の敷地を除いて戸畑市街の町工場は域外に転出して、ほとんど住宅街となった。日立金属株式会社の敷地もイオン戸畑ショッピングセンターとなってしまった。
1920年、鋳物工場
明治43年(1910年)、鮎川義介により戸畑鋳物株式会社が設立され、昭和31年(1956年)、日立金属株式会社となるが、昭和62年に京都郡苅田町に転出して、戸畑サティを経て平成22年(2010年)イオン戸畑ショッピングセンターとなっている。
参考
① 戸畑鋳物株式会社と日立金属株式会社
戸畑鋳物株式会社の工場(参考)
(参考)
今でこそ「横浜の会社」というイメージの強い日産自動車ですが、そのルーツが実は北九州市にあるということをご存知ですか?
昔も今も「ものづくりのまち」として有名な北九州市。明治43年(1910年)今の北九州市戸畑区に、戸畑鋳物㈱という会社が設立されました。
戸畑鋳物は、東洋初の可鍛鋳鉄製造会社として設立されたもので、なんと日立金属のルーツでもあるのです。
■日立金属の歴史はこちら■
1933年、ダット自動車製造(株)を吸収した戸畑鋳物は、日本産業との共同出資で日産自動車のルーツとなる自動車製造(株)を設立しました。
■日産自動車の歴史はこちら■
北九州市戸畑区の大型商業施設の入り口近くには、今でも写真のような碑が残っています。
そう言えば、この「北九州市 時と風の博物館」に登録された「東洋一コレクター」の中にも、戸畑鋳物が登場していました。
■東洋一コレクターの情報はこちら■
戸畑鋳物の他にも、意外な企業のルーツが、わがまち・北九州市にはあるのかもしれません。ご存知の方がおられましたら、是非教えてください。
④ ニッスイの田村市郎、日立の久原房之助、日産の鮎川義介、藤田伝三郎たちは家系でつながっていた(参考)