清末藩毛利家上屋敷 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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長府藩の支藩の清末藩毛利家の江戸藩邸の上屋敷を探したところ、港区新橋四丁目5番地あたりであった。

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港区新橋四丁目5番地

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東方向を望む、このあたりが清末藩毛利家上屋敷


参考

① 清末藩毛利家上屋敷を探す。

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藩邸は愛宕下大名小路・広小路(参考)の道沿いにあった。

長門清末藩1万石の江戸藩邸について(長府新田藩との表記もあり)、上屋敷は愛宕下大名小路・廣小路道 (現新橋4丁目、赤丸)にあり、毛利讃岐守(参考)と記されている。

左手下(西側)に愛宕山がある。

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安政6年(1859年、東京都立中央図書館蔵「分間江戸大絵図」部分)、南下の松平陸奥が伊達藩

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明治10年頃、南下の青丸が松平陸奥(伊達藩)の敷地内の塩釜神社

赤丸の清末藩毛利家上屋敷の敷地が二分されているが、現在、小さな建物でまた塞がれている。

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2016年現在、赤丸: 港区新橋四丁目5

南に既存の建物を取り除いてマッカーサー道路が開通している(参考)

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2016年現在、赤丸: 港区新橋四丁目5


② 長府藩毛利家下屋敷(参考)


③ 塩釜神社
 
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