伝教大師最澄の対馬の到着地、阿連 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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伝教大師最澄は遣唐使として帰国したが、対馬の阿連(あれ)に到着した。阿連は対馬の西海岸であり、日本本土にわたる場合、浅茅湾から西漕手、小船越を越えて東海岸にでる。

すなわち、小船越から玄海灘、響灘を渡海して長門国の北浦海岸に着岸した(参考)。

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「伝教大師入唐帰国着船之地」顕彰碑、805年(延暦24年)に留学僧最澄が乗っていたとされる船が阿連に着いた記録がある。

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対馬市阿連(あれ)の港

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西海岸の⭕️が阿連(あれ)、東海岸(中央あたり)が小船越