一宮神社、北九州市八幡西区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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北九州は、時代は異なるが神武天皇と仲哀天皇、神功皇后が交差しながら活躍している。

しかし、関門海峡あたりに神武天皇の伝承が無いのが不思議でならない。関門海峡で漁をする漁師に神武天皇の一行の水先案内をしたとの口伝がある。

ちなみに、神武天皇の伝承地は、大体、倭国大乱など弥生時代後期の戦乱の跡が残った遺跡の分布と一致している。

参考

一宮神社
北九州市八幡西区山寺町

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神武天皇の磐境神籬が現存していた、古事記にある神武天皇が立ち寄られた岡田の宮の候補

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皇后崎公園の東、渡来人秦氏の神社、大歳神社は式外社ではあるが三代実録にあり9世紀ころの創建、しかし、王子神社は不明

由緒
この地方の氏神、王子神社、大歳神社、諏訪神社の三社を昭和25年6月吉日に合祀し、社号を一宮神社と称す。王子神社は神武天皇が日向の国より東征の途上、当地においでになり一年間、留まられた。となりの地名、皇后崎は神功皇后が上陸されてお参りした地点を由来とする。

祭神
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
神武天皇(じんむ)
(元王子神社)

大歳神(おおとし)
事代主命(ことしろぬし)
(元大歳神社)

建御名方神(たけみなかた)
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
(元諏訪神社)

仲哀天皇は下関の豊浦宮(忌宮神社)に約6年も滞在して、その間に三韓征伐のための軍船を造っていたと言う伝承が北九州、山口などにある。同時に、やはり記紀には記述は無いが、仲哀天皇は皇后を伴って神武天皇の足跡を辿って祭祀していたと言う伝承がある(参考)。







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