何かが足らないから働く。なんとかして欲しいものを得る。次に得たモノを食べる、使う、楽しむ。そして得たモノがなくなる、その楽しみが去る。そしてまた、何かが不足する。
現状この不足が連続していく「循環」は「絶対的与件」だと思われている。これはあまりにも「現実の世界」であり、どうしようもない「前提」だと思われている。
しかしながら、この絶対だと思われている条件が崩れるかもしれない。この記事を読んだりその他の状況を鑑みるとそんな気がしてならないのだ。
現在、世の中に深刻な不足は確かに存在するが、大多数が感じている不足はどちらと言えば「不満」だ。
衣食住がある程度そろっているのに不足感がある。大抵のものはそろっているが満足しないという不満が不足と取り違えられている。
ところが、本当のところは誰にでも現状に十分に満足できて、自分の人生に感謝できる。
簡単なことだ。気が向いて「ああ、自分の人生も悪くない」と考えるだけでいいのだ。リーマンさん流にいえば「生かしていただいてありがとうございます」と唱えればいい。
そこで私は考えた。不足がないと見破れば、現状の「足るを知る」ことを前提に世界を構築することも可能かもしれない。ここをもっと掘り下げて考えたいと思ってこのブログを書いている。
どこに結論が行くのか分からないけど、書いてみれば見えてくるかも知れないとおもって書いていく。
(続く)
