あっという間に6月定例会が閉会した。
大型事業も踏まえ、市役所内にも緊張が高まっているという実感が湧く。

限りあるヒト・モノ・カネで、今を乗り切り、今後数十年の核をつくろうとしているわけだ。

また、当然だが大型事業だけではなく、全ての事業が継続して動いている。これらが循環していくためには、課内や庁内での随所で主となるチームワークとリーダーシップが一つの鍵だ。

私は、お陰様で市議会議員として3期目を過ごさせていただく中で、私なりに市役所の雰囲気や風土などの特徴を知り、職員の方々はじめ、市民の人達から指摘もいただきながらも、多くの事を教えていただいている。

そんな中、一議員として市の内外で何が出来るのか。答えは出ないが、自分自身を磨いて、市のためになるであろう事を指摘、提言していくしかないという結論に改めて至る。

議員にもいろんな人がいる。特に正解はないだろうが、私は、議員は議員としての力を発揮するには、条例や政策提言して制度を作っていくことが主になるべきであり、市民運動とは性格が別であると痛烈に感じている。

もちろん、行政の課題は日ごろの生活や様々な活動から生まれるものだが、それをどう政策課題まで高めるかは、個人のセンスや個人を取り巻く環境にかかってくる。

ただのアイデアマンや自己満足の発表会で終わってはもったいない。この点が議員の醍醐味であり、ジレンマであるとも感じている。

また、市民と政治の距離感がよく問題になる。日本は主権者教育が劣っていると共に、政治と宗教には関わるなという漠然とした雰囲気がある。日本では、生活の根幹に関わることなのに、腫れ物に触る感覚で育つことになっている。そんな中で育った人が有権者になっても、政治に興味を持つわけがない。さらには、人生の節目の行事は、ただのイベント化している。

なぜ、日本では、結婚式はキリストの前で愛を近い、家には神棚があり神社に参拝し、葬式は仏の前で祈るのか?この一見デタラメなことがなぜ成立するのかを考える人は意外と少ないように思う。

自分が楽しければそれで良いという人がいる。別に否定はしないが、日本人に生まれた以上はある程度国の歴史伝統は知識としては知っておかないと。郷土愛と同時に深めないとダメでしょ。基本が無くて、国際性なんか育める訳がない。

結局、時間的余裕ができる60代以降になってようやく政治にコミットする。政策が高齢者向けになる。議員も高齢者の方を向く。さらに若者は政治から離れるという悪循環。このエネルギーを下の世代に落としていかないとね。。。

政治も立場が変われば全部変わる。国会は野党が審議拒否というが、強行採決がこれだけ多い国会も珍しい。どっちが正しいのか、、、。

病気で例えれば、患部を「治す」となるが、政治は世「直し」という。要するに自然と人が一致してないから体に不具合が起こるんじゃないか。一時的な治療はできても、根本が治らないとまた繰り返すんじゃないか。

まち・ひと・国・世界これらを繋がないと。今から鳥栖市もそうだが、世の中が大きく変わる。