毎月やってくる(そう、早くも5ヶ月から戻ってきた。。。涙)ブルー週間を抜けて、
今ちょうど気分的にも一番ノリのよい時期です。
こういう時は色んなことがはかどります。

専業主婦になって間もなく1年になろうとしていますが、その直前の仕事は自分としても仕事らしい仕事はしていなかったので、実感としては仕事を離れて1年半ほどになる感覚です。
色んなことを忘れていきますね。
技術は廃れ、知識は煙に巻かれるように消えていきます。
いつか社会復帰。。。できるのだろうか、日に日に自信がなくなってきます。

日々家事に取り組みながら、ついダラダラしてしまうことが多いと思うのですが、元気のある時は動線を意識しながら家の中を動き回ります。
無駄をしないこと。
一筆書きのように、できるだけ無駄のない動きで家の中を動きながら仕事を片づけていくこと。
たとえば、台所と洗濯場を何往復もしないとか。
移動するときに手ぶらでは動かないとか。
それから、時計を見て何時までに何を終わらせるかを意識しながら家事をしたり。

そう言えば、仕事をしていた頃、常に無意識に考えていたことでした。
ある仕事が目の前にあったとき、いかに手数を少なく終えるか。
残業をしないために、タイムリミットまでにどう済ませるか。

そうだ。これなら家事をする中でも成果を実感することができるはず。
技術や知識が廃れても、こういう感覚を忘れずに居ることがいつかの社会復帰に役立つのかな。。。と。
というわけで、動線を意識しながら家事をすることを、続けてみたいと思います。
久々に、友人と長電話。
お互いに他愛もないことをしゃべりたいだけしゃべって、電話を切ったら、携帯の電池はほぼ空っぽ。
時間を見たら、2時間16分。

すごいなぁ(笑)

主婦をしていると、気づくと家族以外の人と、いや下手すると大人とほとんど口をきかない日が多いです。
そうするとやっぱり何かが溜まってくる。

傾聴ボランティアの講座で先生が

「人間は90パーセント発散の生き物です。発散できないとストレスが溜まります。」

とおっしゃっていましたが、まさにそうですね。
ちなみに、話すことはもっともお手軽で効果的な発散方法だと思います。
けれども話すことで発散するためには、よい聞き手が必要なのだそうで。
その聞き手をするのが、傾聴ボランティアなんですね。

ブログも発散の手段かも知れません。
どうして、自分しか見ない日記じゃなくて色んな人の目に触れるブログなのか。
それはやっぱり、独り言じゃ発散できないのと同じで、話すことに聞き手が必要なことと同じなんでしょうね。

あれ、なんかそれてるな。

とにかく、ちょっと発散できた昨日の夜中でした。
今日も、激しく喧嘩。
ハイ、坊主と。
5歳児VS三十路母。

情けなや。。。

なかなか、思うとおりの母親にはなれませぬ。
精進精進。

明日はまた傾聴ボランティア講座。
しっかり栄養補給してきます。
傾聴ボランティア講座、2回目行ってきました。
再び、なかなかいいお話しを聴くことができて有意義でした。
でも実は、ちょっと痛いところに触れてしまう話題があり、すごく疲れてしまいました。

傾聴とは、簡単に言うと相手の話を聴くことなわけですが、単に聞き流すだけでなく、耳を傾け心を傾けて聴くということだそうです。
大事なのは、受容と共感。
相手のことを受け入れること。
相手の気持ちを理解すること。
相手の話が自分の考えと違っても、相手を変えようとしないこと。あるがままを受け止めること。

そのときに重要なのは、相手が話したことに対して、自分がどう思うかという聴き方ではなく、相手がどう思っているのかをとにかく聴くということだそうです。
最終的な目的は、話し手が話すことでストレスを発散できるようにすること。
相づちをうちながら、話し手がより話しやすいようにしていくのが、傾聴の手段なわけです。

そんな話の中で、今回出てきた話題。
死にたいと言われたら、どう受けるか。
実際に、死にたいと言われて困った経験をお持ちのヘルパー業の方から問題提起があり、その方が死にたいと訴える役をやり、色んな方が受けてみるというシミュレーションを行いました。
ランダムにマイクを受け取った方、皆さん、「死にたい」という考えを何とか払拭させようと躍起になるようです。。。
でもこれをしてしまうと、相手を変えようとしてしまうことになるから、話し手は苦しいのですね。

「そんなこと言わずに、元気出して。」

そんなんじゃ痛いよ。

「何か楽しみを見つけて、前向きになりましょうよ。」

そんなこと言われなくてもそうしなきゃいけないことくらい知ってる。

「でも、もっと辛いことがあっても頑張ってる人もいるしね。」

そんなこと言われたら、もう立ち直れないよ。

実は、この辺から動悸と脂汗でした。。。。。
「死にたい」という考えが払拭できずに悶々としていた頃のことを思いました。
当時あちこちでかけられた言葉と重なる皆さんの発言を聴きながら、
やっぱりそんなことを考える人はあまりいないのだ。。。と思いながら、
そのときの自分に戻ってしまったかのようにうろたえていました。
ちょっと泣き出しそうで、マイクが廻ってきたらどうしようとドキドキしてしまいました。

一番言って欲しい言葉、よく解っています。

やっと、1回目に受けた講座の内容を思い出して言ってくれた方が居ました。

「そう、死にたいと思っているのね。そう思ってしまうほど辛いのね。」

はぁ。ほっと一息。
そうそう、そうしてもらえたら、それだけでもどんなに救われるか。

傾聴ってこういうことなのだそうです。
相手がどんなことを言っても、まずそれを否定せずに受け止める。

「死にたい」って言われてしまったときの対応は確かにとても難しいですと先生もおっしゃっていました。
でも、そのまま受け止めて差し上げることしかできないのだそうです。
そのまま受け止めて差し上げることで、少しでもその方が心を開いてくれて、話すことで発散してくれれば。
そうして行くウチに、気持ちが元気を取り戻してくるかも知れない。
前向きに向き直る方法を模索し始めるかも知れない。
ということだそうです。

難しいですね。
こんなんで、いちいち顕著に反応した自分に、ちょっと自分でも驚きました。
で、また、ちょっと自信をなくしそうになりながらも、だからこそできることもあるかなと思い直しました。

傾聴は訓練が必要なのだそうです。
ボチボチ、日々の生活の中で話の聴き方を心がけてみたいと思います。
赤子が産まれて以来、ずっと家にこもっていました。
実際あまり外に向かう気持ちも起きなくて、毎日ほくほくと我が子の成長を眺めては満足する日々でした。

が、やっぱり閉じた世界に居るとどんどんと自分が狭くなっていく気がします。
かといって、今子供を保育園に預けて仕事を始める勇気がちょっと足りません。
専業主婦ができる環境を与えられていること。
幸せなことです。
そんな風におうちにいておうちのことをすることができるのに、それを放棄して仕事に出るだけの大義名分がなくなってしまいました。
本当はそんなこと気にせずに、やりたいことに邁進すればいいのかも知れないけれど、今の私にとって快適な家庭を維持することは最重要課題のような気がして。
それでもやはり、家庭とは切り離したところで自分を感じていたいという欲求はあり。。。
そんなジレンマを抱えて、はてどうするかと悶々としていました。

そんな矢先、ぼんやりと眺めていた区報に傾聴ボランティア講座というのを見つけました。
6回の講座を受講して、その後ボランティア活動をするのが目的です。
6回で1000円。無料の託児付き!
ビビビっときて、早速問い合わせました。
託児は1歳からとのこと。
でも、聴いてみるモノですね。
7ヶ月ですが。。。と話したら保育の担当の方に確認してOKが出ました!
ラッキー!

で、昨日初めての講座に参加してきました。

それでも実は行くまで悩んでました。
仕事でもないのに、赤ん坊を預ける事への小さな罪悪感とか。
ボランティアなんて未経験の世界への不安感とか。
初めて会う人と上手くやれるかどうかの心配とか。

でもとにかく思い切って行ってきました!
結果は、大正解。

とても興味深く聴けるお話しでした。
そして、大半の参加者の方が定年後の方達でしたが、みなさんボランティアをしようと言うだけあって、懐が深いというか、人間がオープンな感じがしてあまり抵抗がありませんでした。
参加してみて知ったのは、実は30名の定員に90名以上の応募があったのだそうです。
先着順だったのですが、区報が出て翌日に申し込んだのが功を奏したみたいです。
まさに思い立ったが吉日。
良い出会いでした。

まだまだ始めたばかりの勉強。
ボランティアができるほどにちゃんと身になるといいなと思いつつ、頑張ってみます。

傾聴の内容については、また追々。