ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2) | 不健康ランドの小乱闘

不健康ランドの小乱闘

かなり無理。でも負けない。

2度目、観に行った。

 

前回書かなかったことと、

今回気づいたこと。

 

悪役(ヴィラン)って大事。

2014のギャレゴジがいまいちだった理由のひとつは、

悪役がカッコよくもなく可愛くもなかったこと。

名前さえもらえなかったんだから。

 

MUTO(ムートー)ってのは、UFOみたいなもんで

"Massive Unidentified Terrestorial Organism"

(巨大未確認地球生命体)っていう普通名詞であって

固有名詞ではないんである。

 

その点今回は、

キングギドラが超カッコいい。

東宝のどの作品よりカッコよかったんではないか。

誰にも操られてなかったし。

そこがよかった。

 
ちなみにラドンは、小者扱い。
最初キングギドラに平伏し、
最後はゴジラに平伏するっていう
処世術に苦笑い。

それでもゴジラ・モスラ・ギドラと並んで
「本人」ってクレジットされてたから
まだましな扱い。
 直接の前作のヴィランである
2014年のMUTO君は
クレジットなかったから。
(しようにも名前がない)
 
さて。
以下はネタバレ。
 

 

ラッセル家の父ちゃんと母ちゃんは、

逆の設定にすべきだった。

 

意外性を狙ったのかもしれないけど、

この映画、主役は怪獣。

付随的な人間のドラマに必要なのは

キャッチーな意外性ではなく支える必然性。

そこを誤ったために、必然性が損なわれた感。

 

次に、核兵器の扱い。

"How many nukes do you have?"

(核弾頭いくつ持ってる?)

っていう質問が、父ラッセルから

唐突に、しかも気軽に発せられる。

芹沢博士、

これには違和感バリバリだっただろう。

 

核弾頭を携えてゴジラのもとにたどり着くまでに

自分の心の中は整理して、なおかつ
「おみくじ(Fortune Cookie)に書いてあった」なんてごまかしてたけど、

父ラッセルは理解してないよ、あれ。

 

やっぱ、父と母、逆でしょ。

 

「ゴジラは水爆実験から生まれた」と議会で主張し、

1945年8月6日8:15で止まったままの懐中時計を持ちながら、

芹沢博士、

誰にも理解されず自らの命を犠牲にしちゃった気がする。

 

いや、

ゴジラは理解してたな。

 

てか、あの場面、

「モスラの歌を録音してゴジラに届けよう」

とかじゃダメだったの?

 あるいは

せっかくのチャン・ツィイーの双子設定を生かすとか。

いかようにもやりようがあったと思うんだけど。

 

架空の話だからって

核が軽すぎ。

 

まあ、最後の場面で

「原爆みたい」(like an atomic bomb)というセリフが

「時限爆弾みたい」っていう字幕に

おそらく忖度されて変えられてたくらいだから

核兵器の扱いはいろんな意味で

 

米国では軽すぎる

日本では重すぎる

気がする……

 

あと、

キングギドラのテーマが般若心経で、

でもその「君臨」する映像の手前にあるのが十字架で、

つまりは十字架とともに般若心経を流した訳で、

そのあたりは不思議な面白さを醸し出してる。

 

で、今回もやっぱり、

羽化した成虫モスラの登場シーン、

芹沢博士の「さらば、友よ」からのゴジラ復活シーン、

モスラの絶命シーンで、

泣いた。゚(゚´Д`゚)゚。