福島原発事故で東京電力が許せない、責任を取るべきという国民感情があることは十分に理解できる。

だからと言って検察が立証責任に基づき不起訴処分とした案件を、国民感情だけで誰でも告訴できてアマチュアの一般国民を揃えて多数決で「起訴相当」議決できる検察審査会の制度は問題がある。

しかも、検察審査会が「起訴相当」と議決して検察が再度不起訴しても、検察審査会が2回目の審査で「起訴相当」と議決すれば、「起訴議決」となり強制的に起訴できる強制起訴議決制度も問題がある。

東京電力も政府も東日本大震災で裁くべきは、あくまで事故後と震災後の対応であるべきだろう。
東京電力を東日本大震災が予測出来たか出来なかったかで裁くなど感情に基づく人民裁判である。

「M8クラスの津波地震が30年以内に20%の確率で発生」など当時に信憑性があったのだろうか。
「予測を踏また試算から15.7メートルの津波が発生する」など当時に信憑性があったのだろうか。

全てはM8クラスを超えるM9の東日本大震災が起こったから信憑性を持った確率であり試算である。

今回の件に関して、検察審査会の議決で「国民の不満」「市民からの警告」「市民の判断と考え」など持ち出して、感情論だけで東京電力を断罪しようとするのが、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞である。

今回の検察審査会の東電元幹部の「起訴相当」で「国民の不満が反映」と評するのが朝日新聞である。
果たして、国民の不満という感情論だけで立証責任に反して東京電力を断罪して許されるのだろうか。
[朝日新聞 8月1日]原発事故原因―究明求める声を聴け
3年前の原発事故は何だったのか。私たちは納得いく答えをまだ得ていないではないか。そんな国民の不満が反映された議決とみるべきだろう。福島第一原発の事故をめぐり検察審査会が、東京電力の元幹部3人について、「起訴相当」とする議決書を公表した。いったん不起訴処分とした東京地検は、起訴するかどうか改めて判断することになった。刑事責任の追及がどうなるかはさておき、この議決には、事故について徹底究明しようとしない政府と国会、東電に対する社会のいらだちが映し出されているのは確かだろう。政府と国会には、事故に関する膨大な情報を集めて、教訓を引き出す権限と能力がある。国民が与えているのである。にもかかわらず、政府も国会も、原因究明を求める国民の思いにまったく応えていない。その不満は、世論調査からも読み取れる。朝日新聞社による7月の全国世論調査では、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)の再稼働について「賛成」が23%、「反対」が59%だった。安倍首相の政策に事故の教訓が生かされていると思うかとの問いには、そう思う人が19%、否定が61%だった。

政府と国会が事故直後、別々につくった事故調査委員会は、いずれも1年前後で活動を終えた。どちらも引き続き究明を求めたが、今に至るまで具体的な動きはないに等しい。これだけの事故を起こしながら、駆け足の調査で済ませていいわけがない。両事故調が集めた証言録や資料も死蔵されたままである。関係者の記憶が薄れぬ前に、早く本格的な調査を再開して教訓をきちんと示すべきだ。東電元幹部が問われている容疑は、業務上過失致死傷罪である。事故の避難途中に入院患者が死亡し、住民が被曝(ひばく)したなどとして、福島県内の被災者らが告訴・告発したものだ。刑事責任を問ううえでは、地震や津波の予見可能性などの立証が重みをもつ。だが、教訓を引き出すうえでは、そうした司法の視点だけでなく、幅広い視野からの検証も重要である。住民が安全に避難できるかどうかは、原発を再び動かすかどうかをめぐる最大の焦点のひとつだ。なのに、再稼働の前提となる基準には今も、避難態勢の整備は含まれていない。あのとき、住民に何が起きたのか、電力会社の対応はどうだったのか。あらゆる角度から、事故の徹底検証を進めることが不可欠である。

朝日新聞の間違っていることは、「朝日新聞の納得」と「国民の不満」を同根していることであろう。

「刑事責任の追及がどうなるかはさておき」という表現からも、朝日新聞は今回の検察審査会による東京電力の元幹部3人への「起訴相当」の議決が立証責任として妥当が不当かはどうでも良いのである。

おそらく朝日新聞は、福島原発事故にて政府と国会、東電を批判するための材料としか考えていない。

福島原発事故の徹底究明を主張するならば、川内原発再稼働の断固反対を主張するならば、事故調査委員会を1年前後で終わらせて、原子力規制委員会を設置した民主党政権を非難すべきだろう。

SPEEDI情報を隠蔽して、避難する地域住民に無用な被曝を招いたのは民主党の菅政権であろう。
震災関連15会議のうち10会議で議事録を作成せず検証できなくしたのは民主党の菅政権であろう。
密室4大臣会合で議事録を作成せず大飯原発再稼動で先例化したのは民主党の野田政権であろう。

これら徹底追及せず地震や津波の予見可能性だけで福島原発事故を防げたの主張は間違っている。

福島原発事故検証を徹底究明できない理由は、震災会議で議事録を作成しなかったからである。
原発再稼動を止めれない理由は、政治決着して大飯原発再稼動という悪しき前例を作ったからである。

朝日新聞は、原発事故検証でも原発再稼動でも元凶の菅前総理と野田前総理を批判すべきである。

今回の検察審査会の東電元幹部の「起訴相当」で「市民からの警告」と評するのが毎日新聞である。
果たして、原発再稼働を警告するために立証責任に反して東京電力を断罪して許されるのだろうか。

今回の検察審査会の東電元幹部の「起訴相当」で「「人災」なのか」と評するのが東京新聞である。
果たして、予見可能性があっただけで立証責任に反して東京電力を断罪して許されるのだろうか。
[毎日新聞 8月1日]検審「起訴相当」 原発の安全神話を指弾
地震や津波の発生予測に目をつぶった東京電力の姿勢を市民の立場から厳しく非難する内容だ。東日本大震災に伴う巨大津波によって発生した福島第1原発事故で、業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発され不起訴処分になった東電元幹部に対し、東京第5検察審査会が「起訴相当」と議決した。審査会は、不起訴とした検察の判断について疑問を投げかけた。検察は速やかに再捜査に着手し、刑事責任を問う余地が本当にないのか、徹底的に捜査を尽くすべきだ。「起訴相当」の議決が出たのは、最高責任者だった勝俣恒久元会長と、原子力担当だった武藤栄、武黒一郎両元副社長の3人だ。議決はこう指摘する。地震活動の調査や研究、評価に当たる政府の地震調査研究推進本部は2002年、「福島第1原発の沖合を含む日本海溝沿いでマグニチュード8クラスの津波地震が30年以内に20%の確率で発生する」と予測した。予測を踏まえ東電が試算したところ、15・7メートルの津波が発生するとの結果が出た。だから試算を踏まえ東電幹部は対応に当たるべきだった。だが、対策にかかる費用や時間の観点から、東電は予測の採用を避け、土木学会に調査を依頼するなど時間稼ぎをした。3人は責任者として、適切な措置を講じなかった""。業務上過失致死傷容疑で刑事責任を問う場合、事故の予見可能性と結果回避可能性が焦点になる。

議決は、推進本部の予測から、予見可能性はあったと判断した。さらに、全電源喪失を防ぐために、武藤、武黒両元副社長が15・7メートルの津波発生の試算について報告を受けた08年8月時点から、一部設備を高台に移設するなど回避措置を取ることは十分可能だったと指摘した。検察は、高台移設をするにはケーブル接続の工事が必要で、行政の許可を得るのに3年以上かかると判断した。しかし、審査会は「安全対策を取ることに長期間を要するとする根拠が明確ではない」と批判した。検察の不起訴理由に説得力がないということだ。検察はこうした具体的な指摘を真摯(しんし)に検討すべきだ。検察が再び不起訴にしても、改めて「起訴議決」ならば3人は強制起訴される。議決は、3人の刑事責任とは別に、速やかな対策を講じる方向で動かなかった東電や規制当局を「本来あるべき姿から逸脱している。安全神話の中にいたからということで、責任は免れない」と指弾した。新規制基準に基づく原発再稼働も現実的になっている。政府や電力会社は、原発を動かすに当たっては何より安全が優先されるべきだとの市民からの警告と受け止めるべきだ。
[東京新聞 8月1日]東電「起訴相当」 誠実な再捜査を求める
東京電力の元会長ら三人を「起訴相当」と検察審査会が議決した。福島第一原発事故は津波対策を怠ったため起きたという明快な結論だ。検察は誠実な再捜査を尽くさないと市民の信頼を失う。理路整然とした議決文といえる。市民の検察審査会が重視したのは、政府の地震調査研究推進本部の長期評価である。マグニチュード(M)8クラスの津波地震が「三十年以内に20%程度の確率で発生する」と予測されていた。それを基に二〇〇八年の段階で、明治三陸地震をモデルに試算すると、一五・七メートルもの大津波が押し寄せると東電内部で報告されていた。だが、まるで時間稼ぎをするかのように土木学会に検討を委ね、対策を先送りしていた。国側に試算の報告をしたのは東日本大震災の直前だ。「大津波が来る」と試算しているのは、明らかに予見可能性があった証拠ではないか-。市民がそう判断したのは当然だろう。しかも自ら試算しながら、東電は何の手も打たずにいた。東北電力の女川原発(宮城)は津波に備えて、三十メートル近くに「壁」をかさ上げしたのとは好対照だ。東電が対策を怠ったのはなぜなのか。市民はこう考えた。

「原発の運転停止のリスクが生じると考えたとうかがわれる」「東電は対策にかかる費用や時間の観点から、津波高の数値をできるだけ下げたいという意向もうかがわれる」-。この推察は、国会事故調査委員会が「シビアアクシデント(過酷事故)対策を経営上のリスクとしてとらえていた」と指摘したこととも響き合う。東電は〇六年段階でも、津波によって非常用海水ポンプが機能を失い、炉心損傷に至る危険性があることや、全電源喪失の危険性があることも分かっていた。それを市民は議決文に書き込んだ。東電幹部六人のうち、津波の情報に接していても、判断できない立場の二人は「不起訴相当」にし、一人は「対策の決定権がなかった」とし、「不起訴不当」にとどめた。冷静さが感じられる。「起訴相当」としたのは、情報を知りつつ、判断できる立場の幹部に絞り込んだわけだ。業務上過失致死傷罪での刑事責任を問うテーマをふたたび検察が負うことになった。東電を強制捜査もせずに、「想定外だから罪は問えない」と一蹴した判断をそのまま維持するのか。被災者らは注視している。「人災」なのか、その真相に肉薄してほしい。

両者に共通するのは、津波による電源喪失か、地震による電源喪失か事故調査委員会でも確定しない状況で、津波が原因との判断に基づいた検察審査会の「起訴相当」の議決に賛同していることであろう。

さらに、M9の東日本大震災後、M8クラスの地震に対する事故予見可能性と、15.7メートルの津波対策をして結果回避可能性を理由に検察審査会の「起訴相当」の議決に賛同していることであろう。

では、本当にM8クラスの地震対策と15.7メートルの津波対策から原発事故を防げたのだろうか。

M8クラスの地震とM9クラスの地震は、地震の大きさでも、エネルギー換算でも、TNT換算でも、断層の大きさでも、断層のズレでも、あらゆる数値において圧倒的にスケールの違う地震なのである。

●M8クラス地震とM9クラス地震の比較
地震の大きさ(M8クラス:巨大地震、M9クラス:超巨大地震)
エネルギー換算(M8クラス:35京J、M9クラス:200京J)
TNT換算(M8クラス:8400万t、M9クラス:4億8000万t)
断層の大きさ(M9クラスがM8クラスの約10倍)
断層のズレ(M9クラスがM8クラスの約3倍)

つまり、M8クラスの地震対策と津波対策として、一部設備を高台に移設しても、15.7メートルの津波対策しても、圧倒的規模の違うM9クラス地震から原発事故を防げたかどうかは不明なのである。

おそらく、東日本大震災がM9クラスでなくM8クラスであれば検察も立証責任を果たせたであろう。

このことからも、今回の検察審査会における東京電力の元幹部3人の「起訴相当」という議決は「東京電力が地震津波対策をしたら福島原発事故を防ぐことができたか」という立証責任を果たしていない。

このことからも、今回の検察審査会における東京電力の元幹部3人の「起訴相当」という議決は「福島原発事故が起こった結果責任は東京電力が対策をしなかったから」という国民感情の判断と言えよう。

福島原発事故で東京電力が許せない、責任を取るべきという国民感情があることは十分に理解できる。
だからと言って立証責任を果たさず国民感情で「起訴相当」と議決をする検察審査会は間違っている。
国民感情から告訴が可能で国民感情から強制起訴議決まで可能な検察審査会は改めるべきだろう。



裁判員制度はいらない (講談社+α文庫)

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