歴史は大きな流れを俯瞰する視点がないと理解できない! | 南海トラフ地震・津波よ、来るな!

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南海トラフ地震と津波災害の予測がされている高知県から自分の身を守る、家族の身を守る、周囲の人を守る防災を考えていきます。
そして国際交流が多様化する中、文明と文明の出会い部分に注目して、日本人がどうすれば良いのか、について考えていきます。

今年も8月15日を迎えた。


毎年毎年、日本人は、70年間反省し、慰霊をしてきた


これでもか、これでもかと、日本の戦争責任を再確認する


行事や報道がなされてきた。



私は、歴史は大きな流れを、上から俯瞰する視点

を持たないと、歴史の本質は理解できないと思う。



◆1940年のアジアの地図




この時、アジアには独立国は日本とタイしかなかったのだ。



あとは、全部欧米列強の植民地であった。



これで、A(アメリカ)B(英国)C(チャイナ)D(オランダ)包囲網で



石油も鉄鉱石も日本への輸出を禁止して経済封鎖をし、



ハル・ノートを突き付けて、日本に戦争への意思決定をせまり、



真珠湾に空母を除く戦艦だけを停泊させ、



日本に最初の1発を撃たせた。




これがアメリカの抱える難問を一挙に解決したと云われている。


ヨーロッパに軍隊を出せる環境が出来たのであった。



戦後アジアは全部独立した。


つまり欧米は植民地を全て失った。



この報復が東京裁判なのだ。






植民地支配のお詫びと戦争の反省をしなければ

ならないのは欧米各国なのです。



アジアの賢者の見識を紹介しよう。


■【マハティール・ビン・モハマド】マレーシア第4代首相



息子や娘を 日本の大学に留学させたり日本に関する著書を出したり、あるいは政治の舞台から離れた現在では日本人と共同で ベーカリーを経営するなど熱烈な親日家である。



なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨てて

しまうのか。


一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。


そして、若者は何を目指せばいいのか。



日本人には、先人の勤勉な血が流れている。


自信を取り戻し、 アジアのため世界のためにリーダーシップ

を発揮してほしい』



【アブドル・ハリス・ナシオン】

(インドネシア・元国防軍参謀総長)





『日本の戦争責任を問うならば、それより以前、

非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の

責任はどうなるのか。



日本が来たことで植民地支配から解放され近代化

がもたらされた。』

『日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。

【ズルキフリ・ルピス】(インドネシア・元陸軍大佐)









【ククリット・プラモード】(タイ元首相)





【モハメッド・ナチール】(インドネシア元首相)






【ラジャー・ダト・ノンチック】(元マレーシア上院議員)





『日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、

独立のためにどうしても必要でした。



日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が

戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度を マレーシアに

課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。』


【バー・モウ】(ビルマ元首相)


『真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、

1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者は

アトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国

政府であった。』

『この勝利(日露戦争)がアジア人の意識の底流に与えた影響

は決して消えることはなかった。


それはすべての虐げられた 民衆に新しい夢を与える歴史的な

夜明けだったのである。



ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の

偉大さ について聞いたのである。


それはわれわれに新しい誇りを与えてくれた。

歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、

またはその発端の出発点とも呼べるものであった。』

【ジャマル・アリ】(インドネシア・タイムス会長)


『ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦

がいたというのか。


どうしてインドネシア のよいところを映さない。


こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。 我々には、

日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。


「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダに

だって要求しない。』

(日本のテレビ製作会社のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)

インドネシアの場合には」に対するコメント)

【パンデイット夫人】(インド・元国連総会議長)


『日本を貶めようとする内外の歴史家や自虐史観に立つ人たちは、

これまで太平洋戦争がもたらした アジアの民族主義への影響を

ことさら無視し続け、あるいは過小評価してきました。』

【ウー・ヌー】(ビルマ元外相、1943年8月1日独立時の演説)


『歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、

抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲に

した例をひとつくらい見るべきだ。
そして日本は人類の歴史上、初めて この歴史的役割を果たすべく

運命づけられているかに見える。』

【ヤダフ】(インド国民軍大尉)


『インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない

大きなものがあります。
偉大な貴国はインドを解放するにあたって、可能な限りの軍事

援助を提供しました。
何十万人にものぼる日本軍将兵が、 インド国民軍の戦友として

共に血と汗と涙を流してくれました。


インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な
犠牲を、永久に忘れません。


インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。
ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。』

【トモ】(インドネシア元情報相)


『日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。


我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、

独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。


そもそも 大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばなら
なかった。そして実は我々の力でやりたかった。』

【アジス】(マレーシア・マラヤ大学副学長)


『私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。


敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮

を覚えました。


日本軍は永い間アジア各国を植民地として 支配していた西欧の勢力を

追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、

驚異の感動と自信を与えてくれました。』

【モハマド】(マレーシア外務省情報センター所長)


『これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされた

のですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。


民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。


皆、立ち上がったのです。

これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。』

【シャフィー】(元マレーシア外務大臣)


とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国

はないのに、それを日本の政治家が否定することだ


責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。


その頃、アジア諸国はほとんど 欧米の植民地になっていて、独立国

はないに等しかった。



日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。



それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために

弾圧するのは当然でないか。



諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを

受けたか忘れ たのか?



日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら

自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。



そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却
できなかった原因ではないか。」
と。』

【アラムシャ】(インドネシア陸軍中将)


『日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。


その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。


そんな時に行った山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したこと

になる。


村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、アジア・アフリカの悲願

を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。


かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、

汪兆銘、チャンドラ・ ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で

大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である。』

【ククリット・プラモード】(タイ元首相)


日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。



日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供は

すくすくと育っている。



今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができる

のは一体誰のお陰であるのか。



それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。


12月8日は我々に、 この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を

賭して重大決意された日である。


更に8月15日は我々の大切なお母さ んが病の床に伏した日である。


我々はこの2つの日を忘れてはならない。』

【ネール】(インド首相)


『アジアの一国である日本の(日露戦争の)勝利は、アジアの総ての国々

に大きな影響を与えた。


ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであった
ように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。


ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の

叫びが起きた。


日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。』


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この辺でやめておきます。




戦争は悲惨です。


無い方が良いに決まっています。


しかし、やむにやまれぬからこそ、起きるのも戦争なのです。


微視的な、重箱の隅論の議論で、戦争の本質を見えなくし

ている論調があまりに多いのが気になります。



そして常に悪役は欧米だということを忘れてはならないのです


戦争責任をすべて日本に押し付けるセレモニーが東京裁判でした。


そうすることで、彼らは自分たちの贖罪を隠したのです。


原爆投下の責任は一切議論すらなかった。


オランダがインドネシアを360年間支配した植民地支配の反省も

無かった。


経済封鎖をされて、

石油を求めて、南進した軍事行動が、なぜ植民地支配なのか?


今回の政府談話をアメリカは「反省の表現を評価する」としている


が、400年にも及ぶ欧米列強の植民地支配の反省を、彼らは


いつ口にするのか?




今の中高等学校の歴史の教科書も、随分とおかしなものです。


日本人全体が、まだ歴史の大きな流れに

気が付いていないようです。