音楽の力の真理
・音楽の感動は個人個人による誤解
・感動するかしないかは勝手なこと
・音楽に何か力があるのではない
これは、TV番組「題名のない音楽会」のエンディングで紹介された坂本龍一氏(1952-2023)の言葉です。
2020年2月2日の朝日新聞に『「音楽の力」は恥ずべき言葉』という見出しで掲載されたものと同じです。その衝撃的な内容に誰もが違和感を抱いたことでしょう。
私の主観は、この言葉の裏に隠れた想念を読み取る限り、坂本龍一氏は「音楽には偉大な力がある」と仰っているようなものです。なぜなら、「音楽の感動は個人個人による誤解」ということは、即ち「誤解させる力」が音楽にあるということなのですから(笑)
ちなみに、私が言う「音楽の力」とは何か。それは「音楽の神」です。
我々人間は、神(創造主)により創られた存在です。同様に、音楽は我々人間(創造主)により創られた存在です。それを無から有を生み出し創られた「クリーチャー(創造物)」と言います。
音楽は、人間の潜在意識(第六感)によって無から有を生み出し創られたのに、その実体は見えない。だから、「音楽の神」なのです。
生前の坂本龍一氏は、「この音楽には、絶対的に癒しの力がある」「音楽にメッセージを込める」といった音楽の社会利用・政治利用を嫌がっていた。それを「暗黒の力」と表現されたくらいですから、余程トラウマだったのでしょう。しかし、はっきりと私は断言致します。例え、どんな利用手段であっても「誤解させる力」が真実ならば、その個人個人の感動は本物です。それが「音楽の力」の真理です。
最後に、坂本龍一氏 は2020年2月2日の朝日新聞『「音楽の力」は恥ずべき言葉』で、音楽家の「癒してやろう」の姿勢はおこがましいとあるが、これは決しておこがましいことではない。
人間の本質は、何もしなければ飢えて死ぬのみです。
例えば、腹が減っても何も食べない、食べられない。その理由は金銭的問題や心理的問題と様々ですが、結局は何かを失った時です。つまり、「生きる原動力」を失った時です。
「〜してやろう」は、謙譲すれば「〜して差し上げましょう」となりますが、誰かに何かを与える行為です。その行為は、人間としておこがましいことでも恥ずべきことでもない。
医者は、患者の病気を治療することで、生きる原動力を与える。料理人は、空腹のお客に料理を提供することで、生きる原動力を与える。人それぞれ己の役割が異なるだけで、音楽家も同じです。誰かのために与える手段が音楽です。それを相手がどう解釈しようと、たった1人にでも生きる勇気や希望だと感じてもらえたとしたら、音楽家は素直に受け止めるべきです。音楽家こそ、それを「生きる原動力」として精進するべきです。
島倉 学
劇場版「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」鑑賞
昨日、映画館T・ジョイ横浜で、現在公開中の『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』を見ました。
実は、以前からこの作品の存在は知っていましたが、原作は断片的にしか見たことがありませんでした。今回、映画を見るに当たって過去作を見て重要キャラクターなどをおさらいしました。ミステリーやアクションとしては非常に面白かったのですが、何しろ全く先が見えず終わらせる気がない作品というのが私の主観です(笑)
映画化されるアニメーションは、ほとんどが映画のみで完結する作品で仕上げられています。
・キャラクターの主張と関係性
・黒幕の謎
・ミステリーとアクション
今作は、上記の3点を軸に、原作の1番重要なエピソード(黒幕の謎)を取り上げた原作ファンのみを興奮させる補作であり、映画のみで満足できる作品ではないでしょう。
なぜなら、私のような演劇人は、常に下記の3点を軸に見てしまうからです。
・物語のテーマに対するコンセプト
・ドラマが起こる因果関係
・最終的に観客へ伝えたいメッセージ
作中のテーマは、「老若認証システム」です。社会主義的に扱われるシステムを通して、人権問題や倫理問題をどう描いていくのか。そして、ドラマが起こる因果関係において、キャラクターたちが乗り越えるためのあらゆる障害(阻むもの)が、いかにもフェイクっぽい障害ではなくリアルな障害であるか。
最終的に、その「老若認証システム」における社会的問題をメッセージとして観客へどう伝えたいのか。
私の主観では、その軸が全く見えなかった。それどころか作品の中で一切触れていない。因果とは、文字通り原因があるから結果がある訳です。しかし、今作は登場人物の「灰原哀はシェリーであることがばれる」という結果を生み出すために原因が作られている。なぜなら、作者の意図は早く黒幕の謎を知りたい観客に興奮を味わわせたいからです。それが全面的に出てしまうと、本来のテーマに対する障害(阻むもの)が、全てリアルな障害ではなくなってしまう。
これだと、メッセージ性のある偉大な作品を生み出した結果としての興行収入ではなく、興行収入を生み出すために作られた映画だと言われても文句は言えないでしょう(笑)
映像と音楽は、鳥肌が立つほどエモーショナルでした。
島倉 学
優れた芸術さえあれば政治は必要ない
一発と一票の真理
1日3食は過食
20代後半から始めた「1日1食」と「筋力トレーニング」は、私のルーティンです。
成人になってからの「1日3食」は過食です。しかし、「1日3食」が常識の人には、減食しているという概念から断食だと錯覚してしまう。なぜなら、食事を3回に分けることで、バランス良く栄養が摂れると思い込んでいるからです。常識とは、情報の過剰摂取による洗脳ですから、それも「暴飲暴食」と同じです。
ちなみに、「1日3食」を推奨しているのは、食品業界が儲かるためであり、健康法ではありません。
本来、健康法とは個人の生活スタイルによって決まります。特に大人の場合、適切な食事回数や量は人それぞれ異なります。
実は、食事を摂ることは膨大な体力を消費します。成長期の子どもは、大人の身体を作るために1日3食と運動は必須ですが、成人してからは老化していく一方な訳ですから、子どもと同じ食事をしていては身体に負担がかかる。つまり、運動をしたら筋肉を休めるのと同じように、食事をしたら胃を休ませることが大切なのです。
「過食は万病の元」
1日3回も食事を摂っているから身体が太り病気になるのです。「1日1食」は、断食ではありません。弱った身体を本来の「ゼロ」に戻すために必要な成人における正しい食事術=健康法です。そもそも、痩せることが目的だと思っていたら大間違い。そういう人は、「1日1食」が苦痛くでしかなく、決して長続きはしません。なぜなら、美味しいものを食べることが「幸福」になっていて、食べないことが「幸福」だと思える精神状態になれないからです(笑)
食べないことが「幸福」だと思える人は、食事の摂り方の質を高めるために、疲れた胃を休めながら健康になる方法を熟知しています。
これを演劇界に例えてみましょう。
美味しいものを食べることが「幸福」になっている人は、表舞台にばかり立ちたがる。己が有名にならなきゃ気が済まない。一方、食べないことが「幸福」だと思える人は、表舞台を控え己の鍛錬に勤しみます。なぜなら、上手くなりたいから。表舞台は、身を削り下手になる一方だと分かっているからです。つまり、高いクオリティを保ち続けるために、しっかり身体を休めて崩れた基本を修復しながら鍛錬を積むことが、本当の「幸福」だと思えるからです。
何度も申し上げますが、この世の社会の常識とは、人間の「業(ごう)」と「欲」の塊です。常識に洗脳された人は、なかなか呪縛が解けない。思い込み(錯覚)とは、そういうものです。そこから解放されるためには、柔軟な心と意識の変換が必要です。「真理(宇宙の道理)」に辿り着くための「智慧(気づき)」を得る方法を学んで頂きたい。
島倉 学
誕生日を迎えました!
今年で歌手人生22年目になります。
歌に生きると決めてから、音楽一筋の道を歩んでまいりました。そして、これまでたくさんの方々に支えられ励まされてきたことを心から感謝致します。
私は常に「いつ死んでも悔いはない」と思って生きています。それほど自分の人生に確かな自信と誇りを持っています。
一日一日「今」という時間を大切に自分が信じた歌と共に人生を歩んできましたから、これほどの幸せはないと身に染みて感じています。
唱うこと演じることは、自分を生きること。長年芸術と真摯に向き合ってきたことで得た、自分が本当に求めていた本質と答え。それをこれから未来を担う若者たちのために、きちんと伝えていかなけばならないと思っています。
『人生死ぬまでオーディション』
芸術の道は、決して尽きることはありません。歌手として更に歌を磨き上げ他者へ自分の全てを捧げること、指導者として自信のある確かな高い技術をご提供していくことが私の使命です。
皆様ご声援の程よろしくお願い申し上げます!
島倉 学