異化効果がマンネリ化している | GLORIOUS MEMORY

異化効果がマンネリ化している


TVドラマを制作する時に「リアル」を追求することで、視聴者が主人公や登場するキャラクターたちの人生に共感し、「感情移入」することで心が開放され、カタルシス(魂の浄化)を味わえるようにする演出のことを「リアリズム演劇」と言います。

それに対して、「異化効果」を取り入れることで、視聴者の視点や概念を「感情移入」から切り離し、客観的立場から本当に伝えたい「真理(宇宙の道理)」を観客に気付かせようとする演出のことを「叙事的演劇」と言います。

この連続ドラマ『風間公親−教場0−』は、ただ単に殺人事件をリアルに描き、謎を解いて犯人を捕まえるというミステリー作品ではなく、後者の「異化効果」の手法を用いた作品になっています。つまり、冒頭で視聴者に犯人が誰かを周知させた上で、新人刑事がどのように成長していくのかにスポットを当てる。
今や、インターネットが普及し、あらゆる選択肢がある時代に生まれ育った現代人は、「平和ボケ=思考停止」している。直ぐに相手から答えを求め、自ら考えようとはしない。それをテーマに、風間公親のコーチング指導法によって、新人刑事たちが「己の頭で考えること」「己の意志で判断し行動すること」の大切さを学ぶコンセプトにしているのは、実に素晴らしい。しかし、残念なことに肝心の風間が変化した違いは全く分からない。

過去の教場シリーズSPドラマでは、警察学校の校長が「風間は一緒に捜査をしていた若い刑事を失った事で現在のような人物になった」と話していた。つまり、今作は「どうして風間はあのような人物になってしまったのか」が最大の見どころのはずなのに、第1話から風間の人物像には全く変化がない。それどころか、相変わらず木村拓也氏は「キムタク」というキャラクターでしかない。

では、なぜ教場シリーズSPドラマで視聴者が共感したのか。それは、「風間公親=キムタク」をはじめ、各キャラクターの人生に「感情移入」することができるほど、脚本と演出のクオリティーが高かったからです。
ところが、今作は「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」と同様の異化効果の手法ですが、毎回プロットがマンネリ化してしまって直ぐに飽きてしまう。その上、犯人の殺害動機が余りにもチープで白けてしまう。
それらを踏まえ、もし連続ドラマ第1話から風間公親という人物像が、過去のSPドラマとは全く違う警察官であったなら、きっと視聴率が低迷することはなかったでしょう。

島倉 学