最近、すっかり読書タイムが減って

いたのですが、

この本をきっかけに読書熱が再燃して

きました。



とある勉強会をきっかけにこの本を

手に取ったのですが、

とても雑なまとめをすると


・今までのアメリカ的資本主義社会のままでは

 幸せになれない

・消費は私たちを幸せにはしない

・脱成長!


こんなメッセージです。



今回の投稿ネタが

「年末に観るテレビ」なんですが、

実は我が家にはテレビはありません真顔





でも、思ったことがあるので

書き留めておくことにします。

それが、この本とリンクしてくるのですが。



コロナ禍でYouTubeやNetflix、

Amazonプライムなど動画配信サービスを

利用する時間が増えた人は多いですよね。


私も漏れなくその1人。

スマホのスクリーンタイムを確認すると

コロナ禍以降2倍くらいになって

ギョッとしました昇天



なんでこんなについつい観ちゃうんだろう

と、思ったときに

ふと気付いたのです。


寂しさを解消するために観てるな、と。






コロナ禍で友人や故郷の家族に会えなくて

在宅勤務で同僚にも会えなくて

人とのつながりが遮断されて

すごく寂しかったですよね。

もちろん、人によってはむしろ楽だなーと

いう方もいたと思いますが。



その寂しさを、YouTubeやNetflixを観れば

一時的に紛らわすことができます。


夜、1人で食事をする時間や

休日に手持ち無沙汰になる時間を

やり過ごすことができるのです。




で、

この本↓が出てくるのですが、



この本では、

テレビは消費社会・孤立社会の

象徴として書かれています。


たとえば、

テレビは広告で成り立っており

子供向けの広告を放映することで

子供の頃から商品イメージを刷り込むことが

でき、長期的な顧客獲得になるとか。


自動車社会になったことで、

歩行者にとって不自由な環境になり

子供をますます屋内で遊ばせるようになり

テレビやゲームをさせているとか。


両親共働き・長時間労働になり、

子供が1人でテレビを観て過ごす時間が

増えているとか。



非常に立場のはっきりした本なので

読んでいてちょっと違和感もありますが

主張は一貫しています。



それで、

テレビを観ることの意味を

私バージョンで考えてみるのですが


①家族団らんの手段

②学生の頃は流行をキャッチするための手段

③情報を得るための手段

④寂しさを紛らわす手段



こんなところでしょうか。


今、①から④までのどれも

他の代替手段に置き換わっているので

テレビがなくても特に不便がないです。


さらに①と②については、

時代遅れ感がありますよね。


「家族との過ごし方っていろいろあるよね」

「そもそも家族っていろいろだよね」

「流行というより、それぞれの”推し”がいればいいよね」


という価値観になってきている。



今の時代らしい事情が④だと

思うのですが、『幸せのマニフェスト』では

ここにメスを入れていくんですね。


まだ読みかけなので、

また気付いたことがあれば

残していこうと思います鉛筆




(ちなみに、テレビを観る理由として

⑤世間が受信している情報を知る

もあると思っていますが、

最近はなくなりかけているなーとも思います。

これはまた別の機会で書きたいと思います。)



私の今年の年末年始は・・・

たぶんいつもどおりです凝視凝視












年末に見るテレビ

 

 

 

 

 

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