ソウルの北村韓屋(プッチョンハノッ)マウルを歩いてきた。朝鮮王朝時代、王族、両班(ヤンバン)といった権門勢家が居住していた。現在でも、高級住宅街である。周囲には観光地も多い。北村は仁寺洞(インサドン)の北側にあり、大統領府・青瓦台にも近く、王の景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)の間に位置する。

 かつて韓国のバラエティー番組『1泊2日』で北村は取り上げられ、人気が出た。嘉会洞(カフェドン)、桂洞(ケドン)、苑西洞(ウォンソドン)などで構成された一帯である。

 

 開発が規制されたため、昔の姿がそのまま残されている。北岳山や鷹峰を背景とするこの地域は北高南低で、昔は山水が美しいうえに、南の方には緑深い南山を眺めることができた。日当たりや排水も最良の高級住宅地だった。

 韓屋がぎっしり並ぶ、その間の路地を抜けながら、北村八景を楽しんだ。曲線美が特徴の瓦屋根が美しい。

 

 かつて日本民芸運動の指導者で、哲学者である柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、朝鮮芸術の特徴を「曲線の美」といった。民家の屋根が曲線を描きながらつらなる景観美を、そう指摘した。

 彼は植民地時代、浅川伯教(のりたか)・巧兄弟の導きで、京城(現、ソウル)を度々訪れる。陶芸の美に魅せられ、民族博物館を設置するまで入れ込んだ。光化門が取り壊しの危機に遭遇するや、保存を訴えた人である。朝鮮は「曲線の美」といったが、その実感は南山に立って市街を展望したときに沸き起こった。

 「眼にうつるのはその家屋の屋根に現れる限りない曲線の波ではないか。若(も)しこの原則を破って、その中に直線の屋根が見えるなら、それは日本か又は西洋の建築だと断言してよい。(中略)曲線の波は動く心の徴(あかし)であろう。都市は大地に横はるといふよりも、波のまにまに浮ぶのである。そこに眺め入る時、彼岸の渚(なぎさ)を打つ音をかすかに聞く想ひがある」(『朝鮮の美術』より)。

 ちなみに中国は「形の美」、日本は「色の美」である、と柳はいった。

 

 屋根瓦がきれいな韓屋マウルを見下ろすことができる場所に立てば、「曲線の美」を堪能できる。以前、全州(全羅北道)を訪ね、丘の上から韓屋マウルを眺め、調和のとれた、波打つ瓦の美しさに見とれたことがある。

 北村でも、それを実感した。広大な青瓦台を見学した後、北村に入った。立て込んだ古宅群にいると、ここが権門勢家の私邸とっしては狭すぎると思う。昔の姿は違っていたはずである。近代に入って、マッチ箱のような空間になったのか。観光客が多いことが、その気分をさらに強くした。