戦争における「人殺し」の心理学/デーヴ・グロスマン 読了

 

きっかけは伊坂幸太郎の「魔王」の参考図書という形。

 

僕は案外戦争映画が昔から好きで今でもたまに昔見た映画を観返したりします。

一番好きな映画は「ブラックホークダウン」

これも好き「プライベートライアン」。

最近では「フューリー」

「ダンケルク」も観たい。

http://wwws.warnerbros.co.jp/dunkirk/

 

 

しかし、まぁそんな戦争映画を観ている中で少し違和感があった。

確かに兵士は軍人だ。

銃の訓練もしているし人を殺す覚悟もしているはず。

けど、それでも自分と同じ人間を殺せるものなのか?と。

銃を持ち標準を合わせ引き金を引く。

自分の行為が相手の命を奪う。

それをあんな風にあれよあれよとこなせるのか?と。

 

その違和感がある中で当時の僕が出した答えは「慣れてしまうんだろうな」だった。

けどそこには肝心の「慣れる前」がなかった。

一人目。記念すべきなのかどうかはわからないけど初回の殺人。

そこの一線。

日常社会の中では絶対に越えられない一線。越えたくない一線。超えてはいけない一線。

彼らはその一線をどのように、どんな気持ちで、どんな思いで、どんな覚悟で超えるのか。

そこについて考えたことはなかった。

 

だからこのタイトルを見たその日に図書館に借りに行った。

 

読み終わって、とても面白かった。興味深かった。疑問も解決した。

加えて、怖かった。

知ってはいけないものを知ったような。

知らなくても良かったもの知ってしまったような。

そんな気持ちになった。

 

多分みんな一緒なんだと思う。

一般人も学者もお偉いさんもお医者さんも。

デーヴ・グロスマンさんはこの本の中で「目を向けたくなるものに目を向け、拒絶反応を克服し理解すべきなのである」と言っていた。

確かに目をそむけたくなるような帰還兵の生々しい話に正直何度か泣いた。

最近の僕は泣きすぎである。

この前テレビでやっていた「サマーウォーズ」でも号泣した。

涙腺が弱くなっているがこれが年齢によるものなのか感受性が豊かになっているのか病んでいるのかはわからんがまぁ良い。

 

本の内容としては実際に戦争を経験した兵士たちへのインタビューと過去の記録などから、戦争とセックス、戦争における殺人と非殺人、指揮官と部下の関係、殺す者と殺される者、そういった戦争において「人殺し」に至る理由とプロセス、PTSD(心的外傷後ストレス障害)等の精神戦闘議性者に陥るプロセスについて書いてある。

 

 

印象深かった部分を数点列挙する。

 

第二次世界大戦時兵士の15%~20%程度しか敵に対して発砲していなかったとのこと。

これには本当に驚いた。

他の80%~85%は発砲していない。

それは救護であったり弾薬の補充であったり発砲していたとしても敵のはるかかなた上空に向けて、とのことである。

敵を殺す気がそもそも無かった。

もちろん指揮官からは「敵を殺せ!」という命令を受けているし自分が殺される可能性もあるし仲間を守るためにも発砲して敵を殺さなければならない。

けど、ほとんどの兵士は敵を殺そうとしていない。

殺したくない。その殺人への抵抗感故に撃つ振りであったり空に向けての発砲という手段をとっていた。

砲撃が鳴り響き泥まみれで殺された仲間を見てもそれでも大多数は人を殺したくないのだ。

殺人への抵抗感、それは自らの死という恐怖や仲間の死よりも強烈なものであり、

帰還兵へのインタビューの中で「戦争の恐怖、それは「自らの死や傷つくことではなく他者の命を奪うことである」と言っている。

「命を奪う」その現実は本当に僕らが想像しているよりももっと生々しくリアルでグロテスクで恐怖何だと思う。

そのため戦死者のほとんどは砲撃・爆撃によるものであった。

 

その恐ろしく低い発砲率が朝鮮戦争時には55%となり、ベトナム戦争時には90%~95%にまで上昇した。

それは何故か。

戦争の歴史とは訓練の歴史であり、殺人への抵抗感を如何にして減らすのかの試行錯誤でもあった。

「脱感作」「条件付け」「否認防衛機制」この3つの方法を組み合わせ兵士の発砲率を挙げるのである。

・脱感作:殺す相手は人間ではない。自分たちよりも下であり狩りや殺しの対象としても良い、と訓練により麻痺させていく。

例えば、敵は非人道的で悪逆非道であり殺されて当然であり正義の鉄槌を下されるべきなのである、という教育

・条件付け:反射的かつ瞬間的に撃つ能力を訓練により習得させる。

例えば、人型のボードが物陰からいきなり出現しそれを撃つ。

優秀成績により3日間の有給取得等、報酬や罰に適応して自発的にある行動を行うように学習するというオペラント条件付けを用いていた。

・否認防衛機制:上記脱感作や条件付けにより兵士が自らの殺人を否定できるようになってくることをいう。

 

これにより

文化的距離:人種的・民族的な違い。犠牲者の人間性を否定するのに有効

倫理的距離:自らの倫理的優越と復讐・制裁の正当性

社会的距離:階層化された環境において特定の階級を人以下とみなす

機械的距離:機械の介在により殺人を非現実化し、犠牲者が人間であるということを忘れる

を撤廃し殺人への抵抗感を抑制し発砲率を上昇させた。

加えて、人は殺人を行うと、その殺人に対して「不安→殺人→高揚感→自責→合理化→受容」という反応をする。

そして兵士はこのプロセスを経て自らの行為を正当化していき自分の中に落とし込んでいくしかない。

・不安:戦場においての不安とは自分の命や身体に対するものよりも仲間にどう思われるかどうか、といったことに対する部分が大きい。

・高揚感:脱感作により自分は正義を成したことや仲間の命を救ったことや自らの命を守り切ったことに対する高ぶりが起こるがこれは当たり前のことである。

・自責:本当にこれで正しかったのだろうか、という後悔とへげしい嫌悪感に襲われる。人を殺しておいて高揚した自分は頭がおかしいのではないかと悩む。

・合理化:この部分が最も大事であり、以前は帰還時の仲間との語り合いや共に泣き、心を洗い帰還後のパレードや周囲の人たちからの暖かい言葉や気持ちにより自らの行為は正しかったのだ、自らの行いが彼らを守ったのだ、という大きな意味を与える。

・受容:自ら犯した殺人を合理化しそれを受け入れる。

 

上記プロセスを経て兵士は本当の意味で戦争から帰還するのである。

 

そしてベトナム戦争において特にこの合理化→受容のプロセスが完全に損なわれた。

それによりPTSD(心的外傷後ストレス障害)等の精神戦争犠牲者がかなりの数に上った。

 

このように人間の殺人への抵抗感や兵士の訓練方法、精神戦闘犠牲者へのプロセス。

正直読むのしんどくて読み終わるまでかなりの時間がかかった。

一気に読めない。重たい。

けど自分の中でとてもすとんと落ちるものはあったし納得した。

とてもいい本だと思う。

 

慣れるわけがない。平気になるわけがない。

合理化と受容、それがどれだけ難しいのかは実際に体験してみないとわからないとは思うけど本当に、本当に大変なことなんだというのはわかった。

今なお現在PTSDにより引きこもりや社会に適合できなかったり苦しんでいる人がいる。

名誉勲章を授与されたにも関わらず帰還後合理化受容のプロセスに失敗し自殺した人もいる。

人を殺すとはそういうことなんだろう。

戦争をするということはそういうことなんだろう。

戦地へ送り出すというのはそういうことなんだろう。

本当に、戦争は嫌だ。

 

 

最後に今現在のテレビやゲームがこの兵士の訓練の手法と似ておりその影響で暴力を助長している、と書いている部分がありそこの部分についてはどうなんだろうか、と思った。

しかし言いたいこともとてもわかる、がすとんとは落ちていない。

 

そんなこんなでなかなかに分厚く内容的にも重たい内容となっているので興味がある人はぜひ心して読んでいただければと思います(笑)

 

あー疲れた。

 

戦争における「人殺し」の心理学