今日は、「美塾塾長の内田裕士さん」のお話をお聴きしてきました。
早速、余談ですが、メイクのお話だから!と、危機管理のもと(笑)、いつもの何倍もの時間をかけて入念にメイクしたはずなのに、なのにですよ・・・、つけまつげをつけていなかったことに気づいてションボリ。
話を戻しますね。
メイクのお話とたかをくくっていましたが、その「たか」を遥かに超えたお話で
中でも印象にに残ったというか、全身にビリビリが走った投げかけが
あなたは、なんのためにその姿でうまれてきたのでしょう?
え?なんのためにこの姿で???
この姿に、なんのためとか、何かあるわけ?
なんのため?なんのため?なんのため?
1度のお言葉が、300度くらい頭の中を駆け走りました。
思い出話になりますが、わたしには、自分の顏に自信万満々のコンプレックスがありました。
小学校入学までは、自分は世界で1番美人だと本気で思っていました。
思っていたというより事実として疑うことさえなかった強気な少女でした(笑)
入学して、同じクラスに「あゆみちゃん」というお友達がいました。
色白で、目鼻立ちもぱっちり!くっきり!お人形さんのような可愛いあゆみちゃんを見て、自分が1番ではなかったことに直面したのです。
1番ではないなら2番!といきそうですが、すっかり自信をなくして、世界ランキングビリから5位以内!と、一気にランクダウン。
(幼いながらも、この先、生きていく上で、ビリだとはどーしても思いたくなった心理も働いたようです(笑))
コンプレックスの中、次第に、手に職をつけなくては!のように、美人じゃなくても生き抜く方法を身につけなくては!!と、せめて性格美人になろうとか、せめて人を笑わせるような面白い人になろうとか、真剣に考えていたものです。
世の中には、美人とそうではない人がいて、バランスがとれている!と、思っていたし
わたしは、神様にそうではない人の役割を与えられた。その任務を全うしよう。その中で一生懸命生きていこう!と、心に誓っていました。
そう生きていたのですが、ある日、ふと思ったんです。
「わたしの、人は見た目じゃない。自分は美人じゃない。は、自分への言い訳なのでは?」
なんだか知らないけど、涙がつーと出てきました。
それでも、自分の顏が美人だとも思えないし、自信もないけど、愛しいと思えるようになり、今に至っていました。
コンプレックスからも解放されて、これでヨシ!と、まるっとおさまっていたところに
あなたは、なんのためにその姿でうまれてきたのでしょう?
なんのために?この姿で?
なんのため=私が紆余曲折、通ってきた道のりそのものではないのではないだろうか?
自分らしさをみつけるために、愛の本質を知るために必要な道のり(=経験)で、神様にわざわざ与えられたように思えてなりません。
探究はつづく・・・
