どうしようもなく窮屈だと感じること、ありませんか?
わたしは、あります。
身体の中に、窮屈発見装置が埋め込まれているんじゃないか?と、思うほど(謎すぎる?(笑))、窮屈に敏感なのでございまする。
さて、ここで質問ですが
その窮屈は、ほんとうに、ほんとーに、どうしようもないのでしょうか???
もし、どうしようもあったとしたら?
窮屈のまっただ中にいるときは
どうにかこうにか逃れたい、もう逃げ出したい!もーー嫌だぁぁ!懲り懲りだぁぁ!
でも、ここに居るしかないし、やるしかないし、我慢するしかない。嫌だけどそうするしかない・・・
そんな思考に覆われて、出るのはため息だけ・・だったりしますよね。
ここで、さらに質問ですが
窮屈の中で、あなたが、手に入れているものがあったとしたら、どんなもの???
え?窮屈の中で手に入っているものなんてあるもんか!!!
と、思った方もいるかもですが(←何を隠そう、このわたしです(笑))
手に入るものがあるから、窮屈の中にいることを選択し続けているのかもしれないし、選択することさえ避けてえいるのかもしれません。
このままでいることは、進まなくて済む!という、大メリットがあります。
人は、新しい世界を観ることや進むことそのものに抵抗を感じることは自然なことで、今を守るための必殺技でもあります。
新しい世界が、どれほど素晴らしいとわかっていても、突き動かそうとする自分を必死に抑えようとするのです。
チラッ!っと違和感が湧いてこようものなら、観なかったことにしたりね。
自由になりたいのに、自由になることへの躊躇は
これまで、どうにか必死に保っていた不自由への未練なのかもしれません。
(変な話が続いています(笑))
ぜひ、窮屈から脱出しましょう!なんて、単純な話ではなくってね・・
窮屈の中に居る自分を、じっくりじっくり見てみて、自身に投げかけてみることが大切です。
自由になることへの躊躇や罪悪感や怖さ?
不自由でいることの居心地の良さ?
窮屈とは別に、やり甲斐?未来へつなげたい経験?
そこに居ることを、自身で選択している?
そこに居る意図は、明確?
じっくりじっくり見てみると、窮屈の質や量がちがってくるかもしれません。
最後に、伝えたいのは
窮屈だと感じることは、生きたいように生きたい!という心の叫びです。
あなたが、生きたいいように、生きたいままに生きる時間が1秒でも長くなりますように・・・。
その時間は、しあわせに直結しているよ
