独り言をここで述べたい。

 

「食べる量を減らすとデトックスが出来る」

 

東洋医学では食養生を重視する。

その中で、食べ過ぎ飲みすぎは健康を損ねやすく、病の回復にも大きくかかわる。

 

腹八分目で食べるというものから、半日断食(朝食を抜く)、一日断食(週一回食を抜く)、そして本格的に一定期間食べない本断食など様々な方法がある。

 

医師・甲田光雄先生の著書にも詳しく書かれているが、こうした取り組みによって難病が治ったという例はたくさんある。

(ただ、本断食などはきちんとした専門家の指導の下行わなければ危険である。重篤な疾患の場合も食養生に精通した専門医の指導が必要だ。)

 

(参考までに甲田先生の著書を紹介しておく。)

 

 

 

食を減らすと体は排泄活動を活発にし、体内の老廃物を処理し浄化する力が高まる。

免疫も上がり、さらに気持ちも冴えてくる。

 

 

朝食を抜くことに慣れないうちはふらつきを覚えることもあるが、次第に小食が当たり前になっていき、沢山食べなくても大丈夫になってくる。

 

同時に、吸収するものは和食を中心とし、腹八分目以下におさえる。

さらに本格的にするならば、玄米菜食や青汁などのみを食する方法がある。

 

最近ではこうしたマクロビオティックや断食(ファスティング)というものが浸透してきているようにも見えるが、まだまだ以前からある「食べないとだめ」風潮が根強い。

 

健康を考えるなら、「入れる」ことよりもまず「出す」ことを考える必要があり、アトピーやら喘息やら様々な病はある意味こうした食の在り方を変えるだけで大きく変わっていくものだということは、私の著書でも述べてきている。

 

テレビや雑誌などの情報をなんでもかんでも鵜呑みにするべきではないが、たとえば甲田光雄先生の著書をはじめ断食のススメについて書いた本を読んでも、(私には不思議なのだが)どうにもピンとこない人がいるようだ。

 

強制的にするものではないし、必要性を感じなければ興味がわかないのだと思うが、書いてある内容について腑に落ちていないのか、理解ができづらいのか、絵空事やら出鱈目やらと思っているのか、とにかく反応が鈍い。

 

文中で実に理にかなったことを述べていたりしても、ある特定の部分にのみフォーカスし、(例えばある別の医師の話だが、死生観などについての内容で、病に振り回されるのではなくいかに人生を楽しく生きるかが大事なのではないか、死は誰にでもやってくるのだから受け入れよ的なことを見つけると)「こんなことを言うやつは信用ならん」「医者なのに死を受け入れろというのか。治す気がないのか」と怒りを見せたりする。

 

こうした禅問答的な話は、生きる死ぬというテーマ、どう生きるかについて論ずるとき触れるべき部分であると私は思うし、その背景にある伝えたいことの真意・本質は本を読めば明らかであろうに、それでもおかしな(としか思えない)捉え方をして否定してしまうようだ。

 

自分がわからない、理解できないだけならまだいいのだが、それを人に吹聴したり、小ばかにしたりする。

 

年代的なものなのか、結構戦後の貧しい中育ってきた世代にこうした「食べないとダメ」神話が根強いように思える。(もちろん一般論としての傾向的な話で、そうでない人もいることは知っている。)

 

症状や病というものは確かに怖いし辛いことだが、考えようによっては、自身の生き方、これまでの在り方とこれからの在り方を考える機会でもある。

 

断食(それも半日断食などの負担の少ないもの)は、体を浄化し、心身を軽くするものであるのだが、これを受け入れられない人にとってはおかしな所業としか思えないだろうし、やるやらないは本人の気持ち次第であることを日々痛感する。

 

まあ、別にやったからすごいとか偉いとかではなく、あくまで一つの方法論なのだが、もう少し世間に浸透すれば病気や症状で悩む人は大きく減るに違いないのに。

 

病院や製薬会社は困るかもしれないし、食肉とかを輸出する国や会社も困るかもしれないが、人ひとりの健康には代えられない。

 

大衆がそうしたベクトルを向けば、いずれ社会も変わらざるを得なくなる。

 

独り言として述べてみた。